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アーモンド [本のはなし]

ブログのアップが遅れると焦る。
このところ原稿の締め切りに追われて、毎日、PCの前に座っているのだけれど、
仕事はなかなかはかどらず、ついiPadで数独をやってしまう。

iPadの数独アプリは、マスにメモ機能がついてない。
1つのマスに2つ(ときに3つ)の数字が入る場合、
小さな文字でマスにメモしておくと、他のマスに入る数字が分かりやすいのだが、
メモができないので、いちいち覚えていなくてはならない。
結局、2つの数字のどっちかを、勘で選んでエイヤッと入れると、5割の確率で赤字がでる。
それでもう一つの数字を入れ直す・・・。
なにをいいたいかというと、無駄な時間を使っているということ。

で、ここからが、本題。

『アーモンド』という本(祥伝社)を紹介するんだった。
著者はソン・ウォンビンという韓国の女性作家。もともとは映画の脚本や演出を専門とする人らしい。

前にも紹介した、チョ・ナムジュの小説『82年生まれ、キム・ジヨン』も、
韓国の女性の歴史の流れを小説の中でファンタジー的要素も入れながら描きだし、
同時に社会に向けての主張が創作のなかにはっきりとあった。
この本も、似ていた。

『アーモンド』という変わったタイトルは、主人公の少年が生まれつき扁桃体が小さいために、痛みも苦しみも、喜怒哀楽も感じないアレキシサイミア(失感情症)という障害をもっていることから来ている。

扁桃体の扁桃はアーモンドの意。
記憶と情動反応をつかさどり、危険を察知したり、不安に反応したりする重要な脳の一部だ。形がアーモンドに似ているために、そう名付けられている。
最近の感情に関する心理学と脳科学の接点で、注目されている部位でもある。
それが、いち早く小説に取り入れられているなんて、それだけで驚き。
もっとも、その造形はおそらく創作によるものなのだろう。

そのユンジェ少年が母のお腹にいたときに、父親は事故で亡くなった。
以来、働きながら女手一つでユンジェを育てていた母は、研究のために治療を申し出てくれた専門家を断り、自分の息子がまわりから「変な子」とみられないよう、「ふつう」にふるまえるように、感情の言葉やただしい反応のしかたを必死に教え込む。
だが、なかなかうまくいかない。
それでやむなく、結婚した時に縁を切ったおばあちゃんのところに戻ることにする。

このおばあちゃん、なかなかの豪傑で、娘から孫の話を聞くや、「私の可愛い怪物」と言って無条件に受け入れる。

だが、ある日、母親とおばあちゃんが、「笑っているやつはみんな殺す!」と叫ぶ男に襲われ、ナイフで切り付けられる。おばあちゃんは即死。
病院に運ばれた母は昏睡状態になったまま目覚めない。

ここで、重要な登場人物が2人して消えてしまう(母は生きているが)のだが、
ここから母が開いた古書店を一人で守ることにしたユンジェの人生が大きく展開していくことになる。

まずは古書店の2階でパン屋を営むシム博士と呼ばれる初老の男性。母が生前からシム博士にいろいろと相談し、息子を頼むと言っていたという。
そして、店にやってきて、ユンジェに行方不明の息子のふりをして病気の妻に会ってくれというユン教授。
そして、その実の息子のゴニ。
さらに、古書店にやってきた運動の好きな女の子、ドラ。

ゴニは児童養護施設で育った後、養子にもらわれ、いくつもの学校を放校になり、しまいには少年院を出入りするようになった問題児。
ようやく本当の親であるユン教授と会って引き取られるのだが、その非行はおさまらない。
ユンジェにもいろいろと絡んで、手ひどくいじめるのだ。
だが、ユンジェが痛がりも怖がりもしないのを見て、ますますムキになるゴニ。

ゴニはどうしてユンジェが何にも反応せず、嫌がりもしないのか、わからない。
ユンジェはゴニがどうして自分を残酷に痛めつけようとするのか、わからない。

そして、徐々に物語は悲劇に向かっていく…。

この小説は、感情をかんじないというユンジェの視点で世界が描かれているので、
同調圧力の強い今の世の中の異様さ、残酷さが、逆に見えてくる。
「共感できない」ユンジェが発する問い「大部分の人は、共感すると言いながら簡単に忘れてしまうのはなぜ?」は、今の世の中をするどく指弾しているようだ。

そして、ユンジェもゴニもドラも、出てくる子どもたちは、「ふつう」からはみ出した子たちなのだ。
登場する大人たちも、みな、どこか傷ついていて孤独のなかにいる。

ユンジェとゴニは、正反対のように見えて、実は。
扁桃体は脳に左右2つあるのだ。

最後は息もつかず読んでしまった。

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Zoom Fatigue [日々の出来事うっぷんばなし]

Web マガジンのPsychiatric Timesに”Zoom Fatigue(ズーム疲れ)”という論文が載っていた。
今では、私の生活にもZoomはなくてはならないツールとなっている。
今、大学からお給料をもらえているのも、Zoomがあったからこそである。

ただ、夏休み期間となり、会議は減って、講義や実習もなくなったので、
毎日、Zoomではなくなったが、面接やグループなどもZoomでやるようになって、
そのメリットとデメリットを見きわめる必要を感じている。

というわけで、興味を持ったこの論文をざっと訳してみた。

MRIを用いた研究では、録画を見るのに比べると、直接対面してのやりとりのほうが、脳の報酬rewardにかかわる領域が活発に活動することが明らかになっている。
この報酬というのは、言葉や感情のやりとり(give & take)が相互的に行われていることを意味する。
これが高まると、モチベーションや関心が高まり、ますます相互作用が活発に行われるようになる。

Zoomでは、やりとりに微妙なずれが生じる。それが、この報酬の度合いを低めるというのだ。
打てば響く会話は楽しいし、ますます弾む。ところが、ほんのわずかでも反応に遅れが生じると、しらけてしまい、疲れるというのだ。

さらに、アイコンタクトの問題もある。
アイコンタクトは、つながりを強め、反応を速め、顔の記憶を高め、好ましい、魅力的という印象を高める。
しかし、カメラを見つめれば、画面の相手の顔が見えず、相手の顔を見ているとカメラに視線をあわせることができず、他の観客はどこか別のところを見ているように見える。大人数の会議ともなれば、なおさら視線を合わせることは不可能だ。
そもそもコミュニケーションというのは、実際のところ無意識的非言語的な要素が大きい。
触れ合い、共同注視、姿勢といったものが瞬時に解釈されていく。これによって相手を理解するだけでなく、その場で即座に反応を返すことで、相互のコミュニケーションが成立するのだ。

ビデオを通してでは、そうした表情の微妙なサインや体全体が表現しているものを読み取ることが難しい。
それぞれ相手が今いる環境がどんなものかがわからないので、何に注目しているのか、何を聞いているのか、本当のことはわからないのだ。

こうした、相手やお互いのつながりを確かめあうための手立てがないために、それを補うために認知的感情的努力が必要になる。疲れるのは、よけいに気を遣わなければならないからなのだ。

他の人の動きに気を取られたりしながら、話をしたり、PCを操作したり、資料を出したり、といった多重課題をこなさなければならないのも疲れる。
しかも、自宅であれば、家族やペット(の立てる物音など)が侵入してきたりする。プライヴァシーがときに侵害されてしまうのだ。
自分の顔を見なければならないというストレスもある。
はっきり言って、ビデオ会議というものは、ハイコスト・ローリターンなのである。

しかも、身体を動かすことで疲労の40%は解消できるのだが、座りっぱなしというだけで疲れるのである。(座っている時間は職場と変わらないかもしれないが、自宅だと会議室まで歩くといった動きがなくなる)
また、Covid-19による失業の恐怖や学校閉鎖、人種差別、身体的ディスタンシングによる孤立などの問題も、人の心を不安にさせている。


この論文では、このような疲労の原因があげられているのだが、これに加えて、接続の問題も大きいと思う。
実際、私のPCは室内無線LANを使っていて、最近、ときどき接続が切れてしまうのだ。
そのたびに、電源を切って再接続をはかったり、壊れてしまったらどうしようという不安と戦っている。
これが使えなくなると、それこそお手上げだから。

しかも、Zoomの最中に音声や画像が途切れたり、コマ送りのようになると、
それが相手の不具合なのか、自分の不具合なのかがわからないまま、
相手が話し続けていたり、自分が話し続けたりしていると、実は聞き取れていない、ということがよく起こる。
少人数であれば、もう一度言ってとリクエストすることができるが、
ビデオ会議などではかなり難しい。

そういう意味では、疲れるのも無理はないと思える。
やはり対面での集まりより、時間は短くすべきなのかもしれない。




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子どもを持つママたちのための応援歌 [本のはなし]

いつも時間が過ぎるのが早すぎると嘆いているけれど、今回ばかりは信じられないほどの速さ!
前回紹介した中国ドラマ「バーニング・アイスー無証の罪」は終わってしまった!

最後の2~3回の急展開は、想像を超えるものだった。
菊池桃子似のヒロインと同級生で、法律事務所に勤める弁護士の卵は、ずっとさえない男の子だったのだけど、ここでぐっと変身!
その演技力ったら!驚くべきものだった。
そういう意味では、捜査にあたる規格外の刑事役の男性俳優も。
この人が主役だったんだねえと後で納得。

それにしても、中国で連続殺人鬼のドラマなんてね。
法律事務所の所長も、女たらしの金の亡者だし…。
バッグの中から紙幣の束をまるめた大金がでてきたり、
その大金と引き換えに殺人を引き受けるプロの殺し屋のサイコパスなんか、まるでアメリカのドラマじゃないの。
社会主義はどこへいっちゃったんだ?

いやいや、こんなことを書くつもりではなかった。

今日は、加納朋子さんの『我ら荒野の七重奏(セプテット)』(集英社文庫)を紹介するんだった。

これはかの、日本初のPTA小説『七人の敵がいる』の続編。
七つながりですね。
今回は、出版社の編集者、山田陽子の一人息子、陽介も小学校6年生となり、突然、私立高校に進学したいと言い出すところから。
クラリネットを演奏する先輩を見て、すっかりその後を追いたいという気になったのだった。
小学6年からのお受験では、とうてい合格するはずもなく、公立高校の吹奏楽部に入ることになるのだが…。

つまり、今回はPTAではなく、中学のクラブ活動が舞台。
そう、スポーツであれ音楽であれ、今の学校の部活は、本人だけでなく親が大変なのだ。
その顛末。
いつものように、ブルドーザーと悪名高い陽子、他人のことには共感能力はゼロなのだが、息子のことになると敏感に反応して後先考えず、突進していくのだ。
それでも、経験から少しずつ学んでいく。

彼女とて、だてに長年キャリアウーマンをやっているわけではない。人を見る目は確かだし、マネジメント能力は抜群なのだ。
もちろん、そんな陽子にも見通せない能力をほかのママたちも発揮するのだけれど。
今回は、保護者にママたちだけでなく生徒のおじいさんが登場。
風貌がゴルバチョフに似ているところから、ゴルビーと呼ばれることになるおじいさんだが、
なかなか良い働きをするのだ。

学校という組織と保護者との関係や、保護者同士の関係など、コンサルテーションのテキストとしても大変興味深い小説である。
これと双璧をなすのは、今野敏の『任侠シリーズ』だな。
出版社から、高校、病院、そして銭湯と、さまざまな組織に任侠の一家が入り込んで、次々と問題を解決して解決していくというシリーズ。

世間からは白い目で見られるようなはずれ者が、コチコチに固まって機能不全に陥った組織を再生させていくというパターンでは、共通しているかな。
陽子さんは、そこそこ社会では成功しているキャリアウーマンだし、はずれ者というのは言い過ぎだけど、世間の常識にはなじまないどころか、反発を感じるという点でははずれ者なのだ。
常識的なママからは、<狂犬>と思われたりするほどの。

『荒野の七重奏』というタイトルは、当然ながら黒澤明監督の名作「七人の侍」を西部開拓時代のメキシコに舞台を移してリメイクした『荒野の七人』を連想させる。

子どもを持つお母さんたち、お疲れ様です。
このシリーズを読んで、少し癒されて欲しいものです。
 






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中国のミステリドラマが次々と [テレビ番組]

コロナの蔓延以来、テレビをほとんど観ることがなくなった。
おまけにすさまじい豪雨の連続。
みていられない。

それで観るのは、もっぱらケーブルTVのドラマ。それも録画で。

これまでと変わっているのは、中国のミステリドラマに出会ったこと。

最初に出会ったのは、『王朝の謀略―周新と10の怪事件』。
まったく知らずに偶々放送していたのを見かけたときは、韓国の時代劇かと思ったのだが、中国の時代劇だった。
歴史物かと思ってみてたら、どうも違った。明の時代を舞台にしたミステリドラマだったのだ。
それがなかなかつかめず、ストーリーがよくわからなかったため、見続けるのはやめた。

後から調べた情報によれば、
明の時代に実在した名捜査官・周新と、有能な若き美人剣士のコンビが、彼を慕う仲間たちとともに世にはびこる悪と巨大な陰謀に立ち向かい、10の怪事件に挑んでいく…というもの。らしい。

次に、観たのは『バーニング・アイス』。
新番組のこのタイトルを見て、てっきり北欧か英国のミステリドラマかと思って録画したのだが、再生してみて驚いた。
サブタイトルが、「無証之罪」。中国のドラマ、それも現代劇だったのだ。
証拠のない罪とでもいうのか?

こちらは、刑事がでてきたので、ミステリドラマと分かったのだが、
途中で、みたような顔の中年の俳優が出てきてびっくり!
『王朝の謀略』の主人公、鉄面御史とあだ名され尊敬されていた、実在する正義の名捜査官・周新その人を演じた俳優だったのだ。

名前はヤオ・ルー(姚櫓)。『三国志』で曹操を演じたらしい(観てない)。
時代劇によく出る有名な俳優らしい。

「バーニング・アイス」は、現代の中国を舞台にしたドラマで、AXNミステリーのサイトによれば、“中国の東野圭吾”とも評される人気作家、紫金陳の原作を、映画「レッドクリフ」の韓三平が製作を務めドラマ化した本格ミステリードラマとのこと。

極寒の地方都市で起こった“雪だるま連続殺人”の謎を追って、さまざまな人間が絡むドラマが展開するのだが、人名が字幕にフリガナつきの漢字で出てきて、漢字も馴染みのない字だったり、人名と思えない文字の組み合わせだったりするので、なかなか覚えられない。
俳優のヤオ・ルー(姚櫓)だって、姚はたまに見たことのある姓だけど、名のルー(櫓)は「やぐら」だよ?普通、子どもにつける名前か?身長が180㎝あるから、やぐら?

でも、このドラマ、登場するのが、中国マフィアのような反社会勢力だったり、愛人をかかえた悪徳不動産屋だったり、腐敗した警察官僚組織だったり…。
こんなの中国で放送しちゃっていいの?という感じ。
まるで資本主義社会の国々で描かれる闇世界と同じじゃないの。

ただ、極寒の地ということで、会社のなかでも毛皮のコートを着ていたり、実際、会話していると吐く息が白い。どこで撮影しているのか。
なにしろ、雪だるま殺人事件だからね。

でも、小池栄子似の捜査する刑事や事件に巻き込まれるアイドル的な若い女性などが、みんな元気でしっかりしていて、男どもを叱咤しているのが小気味いい。

あと、韓国ドラマだとハングル文字なので、エンドロールのクレジットが読めないのだが、中国語は簡体字でわかりにくいのはあるが、大体推しはかって読むことができるので面白い。
キャストの筆頭に「出品人」とあって、何だ??と思ったが、どうやら「主演」のようなのだ。
つづく「聯合出品人」は「共演」か。

それに、製作関係者のリストが異様に長くて、数々のお役所らしき名前や、企業らしき名前やカラフルなロゴが次々と出てくる。これも、現代中国の姿?

いろんな意味で面白いドラマではある。
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図書館が主人公? [本のはなし]

図書館好きにはたまらない小説を読んだ。
しかも、登場する舞台が谷根千などの文京区と上野の山周辺。
これまた、歩いていけるところばかりで、たまらない・・・・

中島京子さんの『夢見る帝国図書館』(文芸春秋)。
Facebookで中島さんのフォロアーになっているので、さん付けでないと。
去年の5月に出て、半年後の11月にはもう第7刷。
いろいろなところで書評にとりあげられているから、すでに読んだ方も多いと思われるが。

先日紹介した、『シリアの秘密図書館』など、けっこう図書館がテーマの本ってたくさんあって、見ると手に取って読んでみたくなる。
この本では、とうとう図書館が主人公になってしまった。

といっても、そう単純ではなくて、語り手(わたし)は作者自身のように思える小説家(最初はまだなってはいないが)なのだが、物語の主人公は喜和子さんという年配の女性。
上野公園のベンチで偶然出会ったところから、その物語は始まる。
全面開館した国際子ども図書館を取材した帰りだった。

上野の国際子ども図書館は、建物が素敵な図書館と聞いていたし、子ども図書館というのも魅力的でいつかは行ってみたいと思っていたが、いまだに訪れてはいない。
その図書館が、この物語のもう一人(?)の主人公なのだ。

喜和子さんは、短い白髪に端切れをはぎ合わせて作った、「クジャクのような奇妙奇天烈なコート」を身にまとっていた。コートの下には「茶色の、長い、頭陀袋めいたスカート」に、運動靴というスタイルそして、。

偶然となりに座った喜和子さんは、彼女の吸う煙草にむせてしまった「わたし」に、根津神社近くで買ったという金太郎飴をくれる。(地元の人間としては、もうたまらない)
昔に上野の図書館に住んでいたようなものだという。
そして、「わたし」が小説を書いているというと、喜和子さんは「あたしとおんなじ!」と握手を求めた。

こうして、奇妙なふたりの交流がはじまるのだが、
少しずつ語られる喜和子さんの人生は、戦争から戦後の日本という国の有為転変をそのまま映したようなものだった。
はたしてそれはほんとうのことなのか。
「図書館に住んでいたようなもの」という言葉の意味は?

私は知らなかったのだが、この図書館、かつては帝国図書館とよばれていたらしい。
その昔、日本が列強に伍して強くなろうとしていた時代に、西欧諸国にあるのような国立図書館を作りたいと情熱を燃やした人がいた。
そうした人々の奮闘の物語が、現代の物語の進行の合間に挿入されるのだ。
(なぜか歴史上の人物が現代の口語調でしゃべる!)
軍事費の膨張によって予算が削りに削られ、建設計画も途中で止まってしまったり、万博開催のために神田聖堂に移されたり…。
そのあたりは現在の国情とそっくりで、明治も戦前も今も変わらないことに、暗澹たるたる思いになる。

その転々とさせられた図書館には、幸田露伴や淡島寒月、尾崎紅葉、夏目漱石、森鴎外、徳富蘆花、島崎藤村、田山花袋といった、今では文豪と称されるそうそうたる作家たちが足しげく通っていた。
そういった作家たちの姿を、帝国図書館が証言するのである。
そして、中でも帝国図書館がもっとも愛したのは樋口一葉だった。 
それに、宮沢賢治まで登場する!

・・・というふうに、図書館の目撃談というかたちで日本文学史が語られていくのである。
もちろんそれは文学の歴史だけではなく、日本という国の歴史でもある。
その昔、徳川家菩提寺の上野の寛永寺は、今よりはるかに巨大な敷地をほこる寺で、彰義隊と新政府軍が闘った上野戦争以降も反体制的な人もふくめてさまざまな人が流れ込んで来た特異な土地柄であったこと。
戦後も上野の公園口あたりに、戦災で家を失くした人たちが集まって「葵部落」と呼ばれる巨大なバラック集落ができていて、自治会などもあったこと。
ところが、1960年頃に撤去されて、東京文化会館や国立西洋美術館が建ったこと。
それから間もなく東京オリンピックがあったのだ。

ちなみに、Wikipediaで「上野戦争」を調べてみると、今、住んでいる周辺の地名が次々に出てきて、驚いてしまう。外国人観光客でにぎあう谷根千周辺が戦場だったのだ。
この小説にも一部描かれているのだが、wikipediaの記事を紹介しよう。

5月15日(7月4日)、新政府軍側から宣戦布告がされ、午前7時頃に正門の黒門口(広小路周辺)や即門の団子坂、背面の谷中門で両軍は衝突した。戦闘は雨天の中行われ、北西の谷中方面では藍染川が増水していた。新政府軍は新式のスナイドル銃の操作に困惑するなどの不手際もあったが、加賀藩上屋敷(現在の東京大学構内)から不忍池を越えて佐賀藩のアームストロング砲や四斤山砲による砲撃を行った。彰義隊は東照宮付近に本営を設置し、山王台(西郷隆盛銅像付近)から応射した。西郷が指揮していた黒門口からの攻撃が防備を破ると彰義隊は寛永寺本堂へ退却するが、団子坂方面の新政府軍が防備を破って彰義隊本営の背後に回り込んだ。午後5時には戦闘は終結、彰義隊はほぼ全滅し、彰義隊の残党が根岸方面に敗走した。

あんまり、物語の中身を書いてしまうと、営業妨害になってしまうのでこれくらいにしておこう。
喜和子さんという人がどんな人だったのかという謎と、
帝国図書館の歴史と、1冊読んで2度楽しい、味わい深い小説なのである。


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断捨離をやってみようかと・・・ [こんなことあんなこと]

自粛生活も4か月近くもなると、部屋の中が混とんとして来てしまった。
おまけに締め切りに追われながら原稿を書いていると、資料やら本やらが机の脚元に増えてきて、どうしようもなってきたので、ワイヤーラックなるものを購入してみた。
本棚ほど圧迫感がないと思ったのだが、プラスチックのジョイントでつなぐ式のもので、
本など重いものを入れることは想定していないようだった。
ある日、ジョイントがはずれて中身が崩れ落ちた。

うんざりしてしばらくそのままにしていたのだが、掃除もできないし、デスク下収納用のキャスター付きのファイリングデスクを購入した。
自分で組み立てるのだったが、前に購入した電動ドライバーのおかげで、難なく完成。
やっぱり電動ドライバー、買ってよかった。女性用の小型のやつだけどしっかり仕事してくれる。

で、それに本を詰め込んだら、ちょっとすっきりした。
それで、なんとなくこれまでたまった物を整理してみようかという気になってきた。
原稿締切前の、回避行動という解釈はちょっと脇に置いておいて・・・。

何が無駄に溜まっているかと見まわしてみると、やっぱりぬいぐるみだ。
50年近く前のクリスマスにプレゼントしてもらったモコモコの子羊ちゃんなんて、白いはずが灰色になっている。
くれた人はもう亡くなってしまった。
で、思い切ってこれを捨てることにした。
断捨離第1号…。

なんかそれを捨てると気が抜けてしまい、そのほかにも捨てていいような、いつどこで手に入れたのかも覚えていないようなぬいぐるみはたくさんあるのに、捨てる決断ができなくなってしまった。

断捨離って疲れるのね。

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Zoomのおかげで考えた [こんなことあんなこと]

いまだに巣ごもりが続いている。

それにしても、大学に通勤していないのに、忙しいのはなぜだろう。
4月から2日勤務日を減らして、月10日の契約となったのに、毎日Zoomしているから、通算すると相当の日数を働いている。5月なんて3週間びっちり、毎日仕事をしていた。

もちろん、Zoomの時間だけをカウントすれば、合計しても10日分にはならないのだろうけれど、そのための準備などを勘案すると、10日以上働いているような気がする。
実際、大学にいても、1日びっちり講義をしているわけではないのだから、拘束時間は1日7時間30分でも、実働時間はさほどではない。
それを考えると…。

ま、愚痴はそのくらいにしよう。

最近、偶然にも教え子たちの子供が学齢期になって、いろいろ悩み事を聞くことが多くなった。
とくにコロナの学校の自粛期間は、ずっと子供たちが家にいることになって、子供たちと親との関係がガラッと変わった。

今にして思えば、日ごろあまり親と接する時間が少なくなっていた子供たちにとっては、親と接する時間が増え、たくさんの課題は出されても、遊ぶ時間はたっぷりあったのだ。
親の職場に一緒について行ったりした子もいた。
こうして子どもたちはある意味、子どもらしい時間を取り戻したようである。

ところが、学校が再開するとなると、たちまちお勉強に追われる日常が戻ってくる。
もともと学校が好きで、再開を心待ちにしていた子どもは喜んでいるが、
あまり友だち付き合いもうまくない、お勉強もいまひとつ乗らないというような子どもにとっては、学校再開はうれしいものではない。
しかも、変則的な時間割ともなると、これまでの学校とは違っているわけで、クラス替えもあったりすると、なじみのない環境に入っていくことになる。

一方、親の方も自宅にこもっているうちに、うつ状態になって、
それでも子どもが家にいるうちはよかったのだが、子どもが学校に出かけるようになると
親の方が喪失感でますますうつがひどくなったりしているケースもある。

そんなこんなで、Zoomで子育てチャットグループを急遽開催することになったのだった。
夜、子どもたちが寝静まったころ、集まった。
そして、それぞれの悩みをぶちまけて、泣いたり笑ったり怒ったりしているうちに、
それぞれの気持ちに変化が起きてきたようだった。

やっぱり、頭で考えているのと、実際声に出して言ってみるのとでは、全く違うということがわかる。
頭で考えていると、自分は自分のことをよくわかっているつもりになるのだが、人に話してみると、まったく違う自分のある面に気づくことがあるのだ。

それに、ほかの人の話を聞いて、自分と比較してみるとまた、別の感想も出てくる。
うちの子はまだましなのかも、とか。

それにしても、母親たちは子どもを育てながら、毎日鏡で自分を見るような体験をしていることがよくわかった。
それがつらいのだ。毎日、完璧な親ではいられないから。
こんな親でいいはずはないと思うことばかり。
しかも、そんなことを普通は誰にも話せない。

私は子どもがいないから、そのあたりは頭で推測するしかないのだが、
病棟で働いているときには、患者さんとのかかわりで自分の親との関係を考えさせられたことが何度もあった。
そして、こうはなりたくないと思っていた親のような人間になってしまっていることに気づいて、愕然としたこともある。
優しく理解ある人になりたかったのに…。がみがみいう怖い人間にだけはなりたくなかったのに...

でも、どうしてあの親はあれほどまでに子どもに厳しかったのだろう。
姉の子育てを見て、もっと厳しくしなくちゃと批判していた母。
それがどんな影響を及ぼしたのか、私を見ればわかるだろうにと思ってみていた。
親が期待する方向にいったんは進みながら、まったく別の道に進み、親からすれば期待外れに終わった結果が目の前にあるのに。
大学を辞めようと考えたときに、そのことを母親にコンフロントしたことがあったのに。
あれはちっとも突き刺さっていなかったのだなと思う。

親を見ていて、自分は親になりたくないと思ってきた。
今もそれはそれで良かったと思っている。
でも、どこかで自分は責任から逃れて生きてきたとも思う。
教育に携わっているのは、ある意味、罪滅ぼしかもしれない。

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身近な戦争トラウマ [こんなことあんなこと]

前回も、コロナ自粛のおかげでインターネットの世界が拡大したということを書いたが、
今回も、その続き。
拡大したのはインターネットの世界というより、インターネットを介してではあるが、世界認識の拡大というべきだろう。

5月23日に、21時から「高遠菜穂子さんに聞く、日本が「人道支援立国」になるには?」という、zoomを使ったトーク番組があった。なんと生放送、Liveである。
そんなことができるようになったことも驚きである。

ホストは原寛太さんというフリーランス国際協力師を名乗る青年だ。
早稲田大学で社会学を、カリフォルニア州立大学で国際関係を学んだあと、国際赤十字委員会を含むさまざまな国際機関でインターンシップをしたのち、今はフリーランスでアフリカでの草の根支援にあたっているという。

高遠菜穂子さんは、イラクでの人質事件の”被害者”としてあまりにも有名だが、最近私は彼女のfacebookを通して、今もイラクで子どもたちの教育支援(絵本の読み聞かせなど)を行っていることを知り、フォロアーになった。

この原寛太さんとのLiveでは、寛太さんの問いかけに対して高遠さんが答えていくという形で、二人が現在行っている国際支援の状況を語っていった。
寛太さんがいうには、今、アフリカを目指してくる日本人の若い人が多いそうなのである。
高遠さんもアフリカ独特の土地の持つエネルギーなどの魅力についてはわかると語っていた。

それに比べると(と寛太さんはいう)、高遠さんのいるイラクをはじめとする中東地域は、政治的な問題が絡んで内戦状態にあり、遥かにシビアで危険な気がすると。
確かに、高遠さんが前線のすぐ近くで難民支援を行っている様子を聞くと、いつ銃弾に倒れるかもしれない恐怖が伝わってくる。

多くの国際機関が難民保護のために奔走しており、爆撃などの情報を察知しては、難民たちに避難経路を指示しているのだそうだ。
ところが、その指示どおりに逃げる難民ばかりではなく、なかには指示された先には別の迫害者が待っている可能性もあるので、あえて違う道をめざす人たちも多いのだとか。
個人で活動している高遠さんは、そうした大きな機関では保護しきれない少数の難民たちと行動を共にし、救援を行っているのだそうだ。

ただ、日本政府はイラクを敵国とみなしているし、個人で活動していても、日本代表とみなされるので、その辺は苦労するとのこと。

で、現地の活動にまつわる恐怖の話から、寛太さんが現地の危機はあらかじめ対応を慎重に考えて行動するので、ある程度自分でもコントロールできる。だが、怖いのは、むしろ帰国した後に日本で受ける社会的バッシングだと言って、安田純平さんの例を挙げたときだった。

とつぜん、高遠さんが泣き出したのだ。

ちょうどこの日、テラハに出演していた若きプロレスラーの木村花さんが急死したとのニュースが流れており、二人はそれを自殺として、さらにはSNS上の口ぎたない批判にさらされた挙句の自殺として語った。
高遠さんは、「日本では人が死なないと、この問題の深刻さに気づけないのか」と泣いた。

彼女は、10数年前にイラクで人質になった後、日本に帰国後はひどいバッシングに遭い、地下鉄に乗っても雑誌のつり革広告に載った自分の名前と顔写真が追いかけてくる状況だったという。
どこに行っても逃れられない状況に、「消えてしまいたい」と思ったこともたびたびだったそうだ。

だが、「トラウマは決して過去にはならない」のである。
こんなにしっかりした、幾多の危険を乗りこえてきた彼女でさえも、その時の記憶が一瞬にして蘇り、なまなましい感情を当時と同じ痛み、苦しみとともに再体験するのである。

彼女は木村さんのニュースに自分のトラウマがフラッシュバックしてきたと言った。
そして、彼女のトラウマは、人質となったときのトラウマと、帰国後のバッシングで負ったトラウマとが分かちがたく結びついていて、二重のトラウマとなっているのだという。

「消えるしか、この苦しさから逃れる道はない」とさえ思ったという彼女が、何とか生き延びたのは、「頑張らない、でも踏ん張ろう」という思いだけでだったという。

この放送でも言っていたが、彼女が笑ったときの大きな笑顔と普通に話をしているときの真剣な顔とは、ものすごく違っていて、その間を一生懸命生きているのだろうなあと思い、胸が詰まった。
彼女には、内戦で故郷を奪われた難民の恐怖と悲しみが痛いようにわかるのだろう。

こんなリアルな体験を見ている側もリアルに経験してしまうのが、新しいネットの世界だからこそなんだろう。

彼女は、「海外派遣自衛官と家族の経験を考える会」という組織を立ち上げ、戦争トラウマへの啓発活動を行っている。
5月31日(日)、6月7日(日)、6月14日(日)の3日にわたって、シンポジウムを開くとのこと。
参加申し込みは、会のサイトからできます。 https://bit.ly/2ziMFPc




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悲鳴がきこえる [こんなことあんなこと]

3月末から自宅勤務を続けてはや2か月半。
4月からは、Zoomでの会議が導入され、思いもしなかったITを駆使しての日々が始まった。

そして、半年以上前から楽しみにして計画を練り、自らツアコンをする予定だったゴールデンウィークのマレーシア旅行もキャンセルとなり、いつのまにか5月となっていた。
大学では、講義をZoomでやるというので、改めてパワポや配布資料を作り直し、大学の教育研究システムを通じて配布したりしている。

都立大学のこのシステムはkibacoというのだが、どうやら大学によってそれぞれの名前がついているらしい。
このシステムからZoomの招待メールを送ると、履修届を出した学生全員に届く。
一人一人のアドレスを打ち込んで送る必要はないから、便利ではある。
でも、学生は自宅で資料をプリントアウトしなければならないから、印刷代やインク代がかかると文句を言っている。施設も使わないのだから、学費を半額にしろと。
このご時世で、経済的にも苦しい学生も多いのだろう。

ほかにもサイボウズとやらのシステムがあるというのだが、なんのことやら。


体験グループも休止状態だったが、Zoomでやることにした。
残念ながら、この手のことは苦手だからとか、嫌いだからとかで(その気持ちもよくわかる)、参加しないメンバーもいるのだが、けっこう何とかみんなと話がしたいというメンバーが多くて、決行することにした。

今のところ、45,6人規模のグループの研修会(3時間)と、7人の体験グループ(1時間)に参加した。
やっぱり規模が大きくなると、画面上で全員が映らないし、集中力が途切れてしまう。
グループならではの雰囲気も感じ取れないし、いまいちだった。

だが、7人の体験グループのほうは、職場でのリアルな体験が語られて、最後は同情したメンバーが号泣するというおまけまでついて、1時間はあっという間だった。
実際、話を聞くだけで、何もしてあげられないという不全感や罪意識は湧いてくるが、それはいつものグループでも同じことだ。
だが、今回ばかりは情況が凄すぎる。
よくネットでも「医療関係者に感謝を!」と呼びかけているが、「感謝するなら防護具をくれ」「代わりに夜勤をやってくれ」って感じかな。
実際、何が起きているかは、想像を絶するものがあるのだ。

具体的な内容までは書けないのだが、たとえばN95というマスクは、きっちりと装着すると15分くらいで息が苦しくなる。
さらにゴーグルにフェースシートをつけ、防護衣や手袋もしているから暑くて汗もだらだらでてくる。
それにコロナウィルスがいるかと思うと、自然に息が浅くなり、徐々に酸欠状態になるのだが、深く呼吸するのも怖くてできない。そのうち意識が遠くなりそうになる・・・といった具合だ。

とくに精神科の場合は、内科などの身体科の経験のないスタッフが多いために、人工呼吸器の扱いなどは、はっきり言って素人みたいなものなのだ。
アラームが鳴るたびに、あたふたしてしまう。(一晩中鳴っていたこともあると)

麻酔をかけられ、人工呼吸器につながれ、点滴ルートや排尿のためのドレーンチューブやらが何本もつながった患者さんのケアなんて高度なことをしたことがないのが当たり前なのだ。
認知症の患者さんだったりすると、安全のためには拘束しなくてはならない。
褥瘡ができる。
でも、ゴーグルにフェースシート、さらに手袋をして、何本ものチューブをかいくぐって呼吸器につながった患者さんの褥瘡の処置をするなんて、宇宙旅行をするより大変そうだ。
指導者がついているわけでもなく、マニュアルすらないと。
患者さんも気の毒だけど。

職場異動を申し出ても、代わりのスタッフがいない。
育休から復帰するはずだった看護師が、保育園が子どもを預かってくれないということで復帰できなくなったりしているのだ。
自宅に小さな赤ん坊がいるとか、高齢の親がいると言っても、異動は認めてもらえない。

こんな悲鳴が、あっちからもこっちからも聞こえてくる。

世の中、緊急事態宣言の解除ムードで、東京でも人出が多くなっている。
これでは第2波、第3波が来るだろう。
そんなとき、病院は、スタッフは、生き残っているだろうか。






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不思議で面白い取り合わせ [テレビ番組]

自粛のせいでテレビが面白くない。
covid-19のニュースも見てるだけで気が重くなるばかりだし…。
そんな中で、普段あまり観ないテレビ東京で「松井秀喜 × 池上彰 in Cuba」という番組をやっていた!

「松井秀喜 × 池上彰」だけでも、へぇ~と思うのに、「in Cuba」ってどういうこと?
NYにいる松井(呼び捨てごめん)がなんでキューバに? 第一、行けるの?
行った後で、なんか問題になりはしないの?

で、実際観てみると、予想たがわず面白かった。
そういえば、キューバっていえば、野球だわよね。
日本でもプレイしていた野球選手と会ったり、街を歩く松井に地元の人が「ヒデキ・マツイ!」と声をかけてきて、握手や一緒の自撮りを求めたり。

キューバでは子どもの頃からの野球選手養成に国として力を入れていて、
今やNYヤンキーズのGMのアドヴァイザーとしてマイナーチームの選手たちを見て回っている松井は、子どもたちが野球の練習する姿に興味津々。

でも、子どもたちに「憧れている選手は?」と聞くと、みんな口をそろえて「デスパイネ!」
最近、野球を全く見なくなった私は、「デスパイネって誰?どこの人?」
でも、福岡ダイエーホークスの中心選手の一人なんだってね。

キューバの選手は、メジャーリーグに行くには、亡命するしかなくて、メキシコや日本に行くのが夢。
とくに日本の野球はキューバでも放送されているので、人気が高いのだそうだ。

で、池上(呼び捨てごめん)が「この人知ってる?」と松井を指すと、
子どもたちは、全員首をかしげる…。
松井が引退してから8年。
子どもたちが、かのワールドシリーズでMVPを獲得した松井を知らなくても仕方がないか・・・。

ヘミングウェイもよく立ち寄っていたというハバナのバルで、お酒を飲みつつ談笑する二人も面白かった。
松井は「老人と海」しか読んでいないといいながら、ストーリーをよく覚えていて、主人公の老人がジョー・ディマジオのことを思い出して、ディマジオも頑張っているのだから、自分も頑張らなくちゃと思うところがあると語り、自分もこの小説で勇気をもらえたといいながら、「最後は(老人は)サメに食いちぎられてしまうんですけどね」と笑っていた。
彼の、こういうユーモアのあるところが好き。

ジャイアンツにいたときも、移動の車中で小説を読んでいたのは、彼くらいだったそうだ。
そして、話の中で、池上が私より1歳年下だとわかった。
東大の入試がなかった年といっていたので。
あの年の人は、みんな「東大の入試がなかったので…」と言っているのだそうだ。(本当は東大にいくはずだったのに)というわけだ。

また、NHKの記者だったころは、警視庁の捜査第一課で、殺人事件ばかり追っていたのだそうだ。
国際情勢に関心をもつようになったのは、週刊子どもニュースを受け持つようになってからだという。
あの、わかりやすく、しかも正確に伝えようとする姿勢は、そこからだったのですね。

この番組では、野球のことばかりでなく、キューバ革命やチェ・ゲバラのこと、その後のアメリカとの関係などが映像入りで紹介された。
チェ・ゲバラがお馴染みの姿で、広島の原爆記念碑に献花する映像もあった。いまだったら、若いファンが取り巻いて大変だったでしょうね。(もちろん団塊の世代も)
キューバでは、いまも学校で子どもたちが「チェ・ゲバラのような人になります」って唱和していた。

キューバ革命後、アメリカがキューバと国交断絶したのを、オバマ大統領が撤回して、一時は自由な交流が始まったのだが、トランプが大統領になるやいなや、ふたたび国交断絶したばかりか、経済制裁を強化した。

松井が「キューバの政治に振り回されてきたのですね」と言ったのに対して、
池上が「そう」と受けながら、「キューバとアメリカの関係に振り回されてきたんですね」と言い直したのが印象的だった。さすが池上さん。

キューバは一貫して政治的な立場は変えておらず、今も、教育と医療はすべて無料を貫いている。
今回のパンデミックなどの際には、世界中に医療スタッフを派遣している。

でも、おかげで国営の食堂はまずいらしい(みんなが公務員なので、あまりおいしくすると、客が増えて仕事も増えるから)。
一時アメリカとの国交が回復した後は、がぜん美味しくなったと池上。
ちなみに、野球選手も公務員なんだそうだ。

そんなこんなで二人の話がすすむ中で、松井がジャイアンツへの復帰の可能性を問われた時に、自分の状況とタイミングが合いさえすれば、と答えたのには驚いた。
これまで、ずっと否定的なことを言いつづけていたので。
おそらく子どもさんが大きくなって、マスコミの影響がさほどでなくなることが条件じゃないのかしら。
周りも騒がないで欲しいなと思うが、そうもいかないのでしょうね。

それにしても、今回のパンデミック前の企画でよかった。

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