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新しい生活をオーガナイズすること [こんなことあんなこと]

新居での新年。引っ越しして1か月。
天井まで積み重ねられた130個近くの段ボール箱を1個1個片づけていく作業は、新生活をオーガナイズするという表現がぴったりの作業であった。

最初は、途方もない作業だと思っていたが、徐々に床が見えてくると、ここが住処になるのだという実感がわいてきて、今は残るところ3箱までに減った。
何しろ、空になった段ボール箱のテープをはがして、つぶして、数個ずつ束ねて十文字にひもをかけて、1階のごみ収集所まで運んでいくというとてつもない力のいる作業を、クリスマスも誕生日の大晦日も元旦も関係なく、一人でやりとげた。
この年でよく頑張ったと思う。

でも、それは単純作業であったから、成果も見やすく、達成感も得られた。
問題は出した荷物をどこに収納するかであった。
新居として選んだキーポイントは、クローゼットや廊下の収納棚がたくさんあるというところだった。

だが、それが大誤算だったのだ。

前のマンションでは、納戸と化した5畳ちょっとの部屋にウォークインクローゼットがあり、布団と衣装箱がつまっていた。
さらに本棚2台と大きめのスチール棚が2台にハンガーラックがあって、掃除機やら使わない電化製品なども入れてあり、納戸というより倉庫だったのだ。
この収納力を単なるクローゼットや収納棚に置き換えるのは、土台無理があった。
狭い棚に何をどう積み重ねれば、最大数収まるか、まるでパズルのように、出したり入れたりしながらしまっていったが、結局、布団など、多くの物を廃棄処分にするしかなかった。

しかも、勘定に入れていなかったのが、書斎兼寝室だった部屋の床に積み上げられた資料や書類の束。横になったものを縦にして、しまい込むことの難しさ。
ま、これで引っ越さなければと思ったのだったのだが。

結局、今も最後まで片付かずに残っているのがこれだ。
横になっているものは片づけるのが難しいと悟った。
百均で購入したtA4の書類が入るトレイやかごの類は、何が入っているかわかりにくいし、
積み重ねると、ほとんど用をなさない。
タックシールを貼るにも、いちいち中身を点検して分類しなければならない。

ただ、これをやっていると、すっかり忘れていた写真やらメモやら手紙やらが出てきて、ついつい読みふけってしまって、ぜんぜん捗らない。
東大闘争時代の日記なんてものが出てきて、読むだにこっぱずかしい内容が書いてある。
若気の至りというものである。

海上寮でのグループや患者さんの記録もあって、当時を思い出しては感慨にふけってしまった。

ケンブリッジのフルボーン病院で半年間研修した時の、資料の数々は、とても捨てられない。
なにしろ、当時はコピー機なんてものが身近になかったので、読んだ本や資料を手書きでノートに書き写していたのだ。

あと、海上寮では掲示板グループというのがあって、週一回、管理棟の廊下の壁にかけた掲示板の掲示物を患者さんたちと作りなおしては貼りだす活動をしていた。
英国に行ったときにも、そこに毎週のようにイラスト付きの手紙を送って,「英国だより」として貼りだしてもらっていたものが残っていた。
毎週これが掲示されるせいで、私は英国には行っていないと主張する患者さんもいたらしい。
ある若い女性患者さんは、院内の喫茶店で働いていたのだが、私が6か月休むんだから、自分も6か月休むと言って辞めてしまったと聞いたことも思い出した。

そんなこと、あんなことを思い出しながら、つい手が止まってしまうので、床の上は整理されない紙類が散乱したままだ。
これが片付けば、本当に新居での新生活が始まるのだが…。いつになるのやら。







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もうクリスマス? [日々の出来事うっぷんばなし]

気が付けばクリスマス。
今年は春先から時間が止まって、息をひそめるようにして暮らしていたから、季節感がまったくない。
いつの間にか夏が通り過ぎて、秋もいつの間にか行ってしまい、気づいたら年末。しかもクリスマスだって。

キツネにつままれたよう…。

大学の講義も大学院のゼミも休みに入り、誰とも口を利かずにひたすら段ボール箱との格闘をしながら日々が過ぎていく。

新居は予想以上に便利なところにあって、スーパーは徒歩1分だし、2階には大きな百均のお店が入っていて、ここでたいていのことは片付く。
百均のお店はいつ行ってもスーパー以上に混んでいて、レジに長い行列ができている。しかも、店員さんがすぐれていて、どこに何があるかをすぐに教えてくれる。対応も丁寧。

下のスーパーは、伊勢海老やらなにやら高級食品も売っていて品物もびっくりするほど豊富。
これまでの行きつけの千駄木の小さなスーパーとはかなり違う。

でも、中国人客が多くて、昨日、レジの列の前に中国人の男女カップルがいて、カートの上と下のバスケットにたくさんの品物を買い込んでいた。(レジ袋の大を5つも購入)
でも、見ていると、品物の清算を終えたとき、カートの下のかごにイチゴが3箱残ったまま。
高級イチゴだ。
かごの品物がいっぱいだったので、レジの人が下のかごのイチゴは見ただけでレジに打ち込んだのか?
でも、おかしい。後ろの私を何やらふり返ってみたりしていたし。でも…。

続いて自分の清算の番になったときに、前の人の下のかごにイチゴがあったけど…。とレジの人に聞いてみようかと思ったけど、それってすごいおせっかいだし、間違っていたら偏見もってるみたいだし…と悶々としているうちに、何も言い出せずに清算を終えた。その後、寝るまで悶々。

そして今日。今度は商品棚の間で中国人の男女3人が棚の商品を手に取ったりして、何やら姦しくおしゃべりをしていた。
そのうちに男性一人が、缶入りの飲み物をその場でゴクゴクと飲みだした。子どもにだってやらせない行為。持ち込んだものか?
すると、今度は女性がバッグの中に手を入れて、ゴソゴソしていたと思ったらスマホを取り出した。挙動不審。
そんなふうにレジに並ぶでもなく、そこにい続けるのは、いかにも怪しい。でも、これも偏見の目?

千駄木のスーパーでもフランス人風のスマートな男性が目の前で果物を万引きしていたし、どこでもあり得ることだけど(もちろん日本人だって)、なんかすさんだ気持ちになるのが嫌だ。
すさんだ気持ちでいるから、そんなふうに考えるのかもしれないけれど。




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引っ越しはいつ完了するのか [日々の出来事うっぷんばなし]

新しい住まいに引っ越して、10日が過ぎた。11日か。
しばらくは天井まで積みあがった段ボールの山の中で茫然としていたが、すこしずつ荷解きをしているうちに、段ボールの山が段ボールの丘程度になり、平地も見えてきた。
それでも、まだ人の住んでいる場所という感じはしない。

引っ越そうと思った理由の一つが、2LDKの1間が納戸と化してしまい、寝室とキッチンとで生活しているような具合になってしまったということがあった。
定年退職したため職場の荷物が運び込まれ、さらに実家を整理した残りの荷物が運び込まれたせいだ。
その結果、食卓が仕事場になっていたのだ。

ところが、新居では書斎となるはずの部屋に今や段ボールが積み重なっており、仕事場とはほど遠い有様。段ボールの山に隠れるような状態で、このブログを書いている。

だが、物は時間と手間を掛けさえすれば、少しずつでも整理されていく(はずだ)。
ところが、問題はインターネットの接続の問題。
これまでケーブルテレビで固定電話もインターネットも一括契約していたのだが、
新しいマンションはケーブルテレビはテレビだけしかつなげないという。
そこで、固定電話とインターネットを新たに契約することになったのだが、
スマホがauなので、固定電話もネットもauで契約することにした。

ネットでその手続きをしていこうとしたのだが、プロバイダーをどこにするかという問題に突き当たった。auなどの会社(なんて言うのだ?)とプロバイダーとの関係がいまいちよく分からない。
ネット画面でポチポチやっていくうちに、なぜかso-netと契約することになった。
だが、これまではbiglobeの会員となっていて、メールアドレスもこのブログも、オフィスのホームページもbiglobeのメールアドレスで契約していたから、
これを解約することになると、たいへんなことになる。

そこで、その作業はいったん止めて、引っ越しホテル住まいに突入。
その後、ようやく入居できた日にNTTの人が固定電話とネット回線の接続工事にやってきた。

なぜにNTT?
私はNTTと契約した覚えはないぞ。

だが、auと契約しても工事はNTTが請け負うのだそうだ。
そんなものなのか。

その後、So-netとの契約手続きを続けたところ、数日後に登録証が送られてきた。
一方、混乱の中、荷物を整理していたら、もう1通、So-netの登録証がでてきた。
な、な、な、なんだ!?

引っ越し前のどさくさの最中に送られてきていたのだ。
IDは同じで、パスワードが違う。

そこで、お客様サポートに電話したが、つながらない。
簡単だというホームページでのチャット相談を試してみたが、返事がない。
何度も電話してようやくつながったと思ったら、後から送られてきた登録証の契約は、so-netではなく、NTTとの契約だという。でもSo-net登録証なのに?

しかも、ようやくつながった先は、技術部門のサポートなので契約については別の部門につなぐという。でも、そこで電話サポートの予約を取れと言われて終わり。

そして今、サポートの人とようやく電話でつながって、後の契約を解除する手順を教わった。
教わっただけで、そこで済むわけではないのだ。なんとか自力でやった。

いっぽう、So-netメールの接続がたびたび切れて、そのたびにパスワードを入れなくてはならないという現象がしばしば起こるようになっていたので、そのことについても同じ電話口で相談した。
しかし、この電話は契約関係の相談窓口で、接続の問題は工事関係の窓口でないとわからないという。
それで、またまたそちらにつなげられた。

結論。
これは接続の問題ではない。PCの機械的な問題のようだから、PCの製造元に問い合わせるように。

あああああ・・・・・・

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ホテル暮らし [こんなことあんなこと]

千駄木のマンションを引き払い、新居近くのホテルに移って10日目。
入居できるまであと3日(2泊)。

今年開催されるはずだったオリンピックのおかげで、長期滞在用のコンパクトなホテルがここ周辺にもたくさん新築され、仮住まいはすぐ見つけることができた。

おまけに新型コロナのおかげで(というのも不謹慎かもしれないが)、空室が多く、
おまけにGoToトラベルキャンペーンのおかげで、宿泊費も格安で、しかも地域のお店で使えるクーポン付きで、1泊3000円弱で宿泊ができた。

2年前に建ったばかりという全国チェーンのホテルのシングルの部屋は、ベッドもセミダブルで寝心地がよいのだが、まさに寝るためだけの部屋という感じ。

まず、ここに長期滞在するために必要不可欠の、旅装を解いて荷物を収納するドレッサーなどがない。
スーツケースにすべての荷物を入れたままにして、いちいちそこから取り出している。
何をどこにいれたか、1,2日は探し物で明け暮れた。

次に、部屋に内線電話がなく、フロントとのやり取りは自前の携帯電話を使う。
確かに、今はそれぞれ携帯かスマホをもっているので、フロントを通さず連絡を取り合える。
だが、仮住まい中、大量の原稿校正の仕事をかかえて、原稿をホテルあてにゆうパックで送ってもらっている私としては、いちいち電話で問い合わせたり、連絡をもらったりするのは不便で仕方がない。

さらに、仕事の面でいえば、壁に向いた小さなデスクがあるだけで、しかもそのデスクには、中国製の電子レンジが横向きに置かれている(しかも、これ、使うときにはターンテーブルがガタガタ音を立てて回り、今にも壊れそう)。
しかも、バスルームにコンセントがなくて、このデスクの上にドライヤーが置かれているので、リモートミーティングをするためにノートパソコンを開くスぺースを確保するのがやっと。
なのに、デスクの前の壁面には、ほぼデスクの幅の大型テレビモニターが。
40インチはあろうかというモニターが鼻の先にあるかたち。
全画面を見ようとすると、のけぞらなくてはならない。いつも画面の下辺を見て、音だけを聞いている。

さらに、座る椅子は、デスクの下に収納された小さな座面のスツールが1脚あるのみ。
背もたれなどもないので、これに座ってwebミーティングをしていたら、腰が痛くなってしまった。
高さも合わないので、パソコン仕事をすると手首や上腕もがちがちになる。

でも、コインランドリーもあるし、隣がドラッグストアとコンビニなので、便利ではある。
でも3度3度、食べるものを考えてや水などを買っておかなくてはいけないのは面倒だし、コンビニ弁当は飽きた。

そんな中、FaceBookを通じて、都電で数分のところに住む学生時代の友達が夕食に招待してくれた。
都電は本当に便利。そんな近くにほぼ50年来の友人がいるなんて、ラッキー。
なにしろ夫婦ともども学友で、彼らの長女は私と同じ名前なのだ。
昔の写真をデジタル保存したのを見せてもらったりして、若かりし頃を思い出した。
女子3人が炬燵でマルグリット・デュラスの原本の講読会をして、フランス語を勉強している写真もあった。あのころは、楽しかったなあ…。みんなストレートの長髪。

でも、話題は将来どのように死ぬかとか、病気のことに。やっぱりなあ。

話は変わるが、都電荒川線、別名東京さくらトラムは、本当に便利。
職場の大学に行くにも、大塚駅から都電で約30分。乗り降りも階段がないので楽。
ただ、昼間でも5~7分間隔なのと、荒川車庫どまりの車両があること。
昨日もうっかりそれに乗ってしまい、その先、乗り継ぎはできないとの車内放送に呆然としてしまった。あらためて乗車賃を払って乗るならと、途中の王子駅前で降りて、付近を探索した。

大学に行くには、都電のほかにいくつかのルールがある。
一番速いのは山手線で大塚駅から西日暮里で舎人ライナーに乗り換えるルート。
でも、西日暮里での乗り換えが、いったん路上に出て歩かなければならないので、天候によっては面倒。それを回避するには、日暮里まで行って、舎人ライナーの始発に乗る。
これだと駅舎の中を移動するだけなので、楽。時間もそう変わらない。

あと、もう一つ別のルートを見つけた。
大塚から山手線で田端まで行くと、そこから都バスでなんと荒川キャンパスまで1本で行けるのだ。
舎人ライナーの駅や都電の停留所(熊野前)からキャンパスまで、徒歩で5,6分はかかるので、
タイミングさえ合えば、このルートがもっとも速いこともある。

ところが、このタイミングが難しいのだ。なにしろ、都バスが12分間隔なので。
それを知らなくて、寒風の中を10分以上待つはめに陥ったことがあった。

こんなわけで、さまざまなことを試しながらの仮住まいを楽しんでいる(と言っていいんだろうな)。
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ぎりぎりの時ほど、余裕をもって(とは思うものの) [本のはなし]

いよいよ引っ越しまであと1週間となって、
おかしなことに、まだ一週間、と思った。なんか脳が、回避的反応をしている。

今朝はなんと6時前の早朝覚醒。起きて、身の回りの荷物整理を始めた。頭はあたまはボーっとしたまま。

でも、このところおすすめブックの紹介が途切れているのが気になっていたので、
しなければいけない仕事に目をつぶって、今日は本の紹介やるぞ。

パオロ・ジョルダーノ著『素数たちの孤独』(ハヤカワ文庫)
ずいぶん前から気になっていて、hontoで電子書籍で購入していたのだが、すっかり忘れて本屋で文庫本を見つけてまた購入してしまった。
どうも家にいるとわざわざ電子書籍で読もうという気にならない。

この本の著者、ジョルダーノは、トリノ大学大学院の博士課程で素粒子物理学を専攻した院生だったときにこの本を執筆。
2008年にイタリアでベストセラーになった。ずいぶん前になる。
弱冠27歳で、イタリアの文学賞の最高峰、ストレーガ賞を受賞。
世界42か国で翻訳されているという。

さて、この物語の主人公はアリーチェとマッティアの二人。
章ごとに時代と主人公が違っていて、1,983年から24年後の2007年までの2人のエピソードが描かれる。
最初は、女の子のアリーチェ。
厳しい父親に、スキークラブに無理やり連れていかれて、身体が神経症的に反応してしまう。過敏性膀胱とか過敏性大腸のたぐい。
そのスキー場でアリーチェは事故に遭い、足にひどい障害を負う。

一方、男の子のマッティアは、優秀な成績の子どもなのだが、双子の妹ミケーラのほうは知的障害がある。ときどき、表情がなくなり、身体を奇妙に動かす癖がある。
2人は顔かたちはそっくりで、一緒の学校に通っているが、いつもミケーラは友達から気味悪がられ、嫌われる。
そんな妹がマッティアには疎ましい。
ある雪の日、マッティアは友達に誕生日パーティに誘われる。
妹も一緒に行くことになるのだが、嫌で嫌でたまらないマッティアは、行く途中に妹を置いてきぼりにしてしまう。
それっきり、妹の行方はわからなくなってしまった。

ということで、二人はそれぞれに心に深い傷を負ってしまうのである。
アリーチェは、学校で同級生にいじめにあい、マッティアは誰とも親しくならない、自傷癖をかかえた孤独な子どもになってしまうのだ。


それでも、マッティアは彼の数学の才能を認めた教師の勧めで、進学校に転校する。
自分の家族とは、階級も違う世界だ。

この二人が、あるとき出会い、互いに惹かれあうのだが、それ以上に親しくなれない。
この物語のタイトルにあるように、二人とも「素数」なのだ。
素数は、1より大きい自然数で、1とそれ自身以外の約数をもたない。
そういう孤独な存在。
しかも、素数は2,3,5,7,11…と続くが、2と3以外は、約数は隣り合って存在しない。
間に必ずいくつかの数字が挟まれるのだ。

アリーチェとマッティアもどこか傷をかかえた似たもの同士で、互いに惹かれあいながら
それ以上近づけないのだ。なんとも切ない。

前回紹介した韓国の『アーモンド』といい、この『素数たちの孤独』といい、心と身体に傷をかかえた子どもの成長というテーマの物語が、世界のあちこちで生まれて、人気を博しているというのは、現代社会の歪みを映し出していると言っていいのだろうか。

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引っ越しは疲れる [こんなことあんなこと]

ようやく引っ越しの日程が決まった。
あと1か月。
なにしろ、最後に引っ越ししてから23年も経っているので、
何をすべきかわからない。

こんな時はウェブサーチだ。
あるある。引っ越し準備にすべきことリストなんてのが、ちゃーんと作ってある。
でも、そのリストの長いこと…。
引っ越し直前にやるべきこと、引っ越し後にやるべきことのほかに
引っ越し前に余裕をもってやるべきことも、たくさんあるではないか。

ガス、水道、電気、電話、ネット、プロバイダなどの契約、保険会社の契約などなど
連絡すべきところがありすぎる…。

ケーブルTVの契約はどうすればいいんだ?
区が変わるので、違うケーブルテレビ会社になる。
で、同じようなコースがあるが見られる番組が違っている。
不要な番組もあって、その分、料金も高い。

肝心の引っ越しは、業者さんにすべてをお任せしようと思っていたら、
少しずつ荷造りするといいですよと、段ボールをたくさん持ってきた。
話が違うよ~と思ったが、100箱以上になると言われて、これは大変と
少しずつ荷造りしながら、断捨離に挑戦。

DVDや本をBookOffに売りにいき、燃えるゴミに出せない重要書類は郵便局の書類溶解サービスを利用。
これが結構、出るわ出るわ。
いちいち書類の中身を見ながら分別していると、日が暮れる。
手が真っ黒になるので、ちょくちょく洗っていると、手がガサガサ。
手が滑って、お茶碗を割ってしまった。

粗大ごみも業者が処分してくれるというが、それもお金がかかるので
区の粗大ごみに、出せるものは出しておいた方がよいという。
ところが、区の粗大ごみは、毎日出せるわけではなく、ネットで申し込もうとすると
すでに予約でいっぱい。
出遅れた...。

現在の住居を退出しても、新居はリフォームする必要があり、すぐには入居できない。
2週間弱、ホテル住まいすることになった。
たまたまgo to ナントカのおかげで、すごく安く済んだのは幸い。
コロナの自粛生活と思って、何とか耐えるしかない。
電子レンジもコインランドリーもあるらしいから、何とかなるか。
おまけにGo Toクーポンがもらえるので、食費に使えるみたい。

だが、問題はZoomを使った講義やゼミをどうするか。
昼間は職場に行けばいいけれど、大学院のゼミは社会人院生に合わせて19時から21時。
そんな遅くまで大学にいたくない。
ホテルでやるか。
でも、声が漏れないかが心配。

あれやこれや考えていると、ドキドキしてきて、早朝覚醒。
これは体力・気力の勝負だな。
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脱出した地への帰還? [こんなことあんなこと]

7か月ぶりに職場へ。
世の中Go Toナントヤラで、多くの人々が移動しているのをニュースでみながら
ほとんど自宅で過ごしていたこの7か月。
いよいよ実習が始まるというので、オリエンテーションのための出勤である。

学内に行ってみると、改装工事の真っただ中。
建物の中は化学物質の臭いが立ち込めていた。
メールで工事の工程について逐一報告があったが、
目の前に見ると、こんなに大々的に改装工事ができるのは、コロナのおかげか?とつい思ってしまった。
(本来ならば夏休み期間にやるはずが、コロナのせいで遅れているのかもしれないが)

事務で4月にもらうはずだった職員証が渡され、
古い職員証を返してくださいと言われて(1年ごとの契約なので)、
職員証ってどんなものだったっけと、うろたえる。

ようやく研究室に一歩入ると、そこは7か月前の世界。
カレンダーは3月のまま。
たくさんのプリント類が窓際で黄ばんで、カサカサと音を立てていた。
きちんと整理して、在宅勤務に入ったわけではないので、
7か月前のある日で時間が止まったかのよう。
こんなに長くなるとは思っていなかったのだ。

避難のために脱出していた人が自宅に戻ったらこんな感じか。
(実際の被災者には、このたとえは申し訳ないが)

PCを立ち上げようとしたら、パスワードが分からない。
メモを探して入力してみても駄目だ。
そこで、学内の情報管理部門まで行き、パスワードの更新をすることに。
だが、研究室に戻って新しいパスワードを入れてみたが、PCが開かない。
焦る…。

よくよく考えてみた。
そうだ、PCを立ち上げるためのパスワードと、学内のネットに接続するためのパスワードがあって、新しくしたのは、後者のだった。
(メモしてあったのはこっちで、更新する必要はなかったのだ)

PCを立ち上げるためのパスワード…。
こちらはかろうじて覚えていて、入れてみたら、ビンゴ!

これじゃ、避難民というより浦島太郎か。
やっと、時間がつながったという感じ。やれやれ。

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生まれました! [こんなことあんなこと]

先週、待ちに待った甥っ子のBABYが誕生しました。
予定日から3日過ぎてでしたが、体重3220g、身長52㎝という大きな女の子。

ママは私と同じくらいの小柄で華奢な体格だったので
なかなか生まれてこず、結局帝王切開となりました。
産後も寝たまま酸素吸入を続けていたそうで、赤ちゃんの授乳もすぐにはできなかったそうです。
隣の部屋の赤ん坊の泣き声を聞きながら、さぞや辛かっただろうと思います。

でも、今は座って抱っこすることもできるようになって
授乳の練習も始めたようです。

CIVID-19のせいで、パパも出産に立ち会うことはできず、
今も面会はパパだけ見たいです。
でも、写真を送ってきてくれたので、何度も見ています。
帝王切開なので、頭や顔がひしゃげてなくて、かわいいです。

これからは、あなたが生まれた年は、コロナで大変だったんだよって
一生言われるようになるんでしょうね。
無事に育ってくれることを祈るだけです。


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待ち遠しい [こんなことあんなこと]

ワッ、前回更新してから2週間近く経ってしまった。

このところ、人生の大事件が重なって、てんやわんや。
甥っ子のところの第1子が生まれる予定日が、今日だったんだけど、まだ連絡がない。
最初の子は遅れるからねと、言ってあげてはいたのだけれど。

妊娠してから、浦和から栃木に引っ越して、今は茨城の妻方の実家にいる。
最近の産院はホテルのように素晴らしいらしいのだけれど、
コロナ騒ぎで面会にいくこともできない。第一、遠いし。

2人が結婚式をあげる直前に、うちの母、彼にとっては祖母が急逝した。
生きていたら、きっと喜んでいただろう。
孫がいないということについて、その前に亡くなった父も母も口には出さなかったけれど、
気にしていたのではないだろうか。

とくに父は、生まれてすぐに父親を亡くし、一人っ子で、虚弱児施設で育ったから
孫が生まれたら、どんな顔をしただろうかと、思う。
あまり愛情表現の得意な人ではなかったけど、晩年には少し性格がかわっていたから
孫には相好を崩して、ベタベタしたかもしれない。

あぁ、早く生まれないかなあ…。





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久々の帚木蓬生さん [本のはなし]

たまたま寄った本屋さんで、新しい帚木蓬生さんの小説を見つけた。
昔は、帚木さんの新作が出るたびに本屋に行って買い込んだものだが、
その後、徐々にその熱が下がっていった。
ご本人ともある出版社の企画で、対談をさせていただいたこともあるというのに。

昨年、帚木さんこと、森山成彬先生が長年勤めてこられた八幡厚生病院にも呼ばれて行ってきた。
先生はすでにそこを辞められて開業しておられたが。
数年前に、大病されて復活し、最近は『ネガティブ・ケイパビリティ』というエッセイで話題となった。

で、今回見つけたのは『ソルハ』(集英社文庫)。
日本の小説としては珍しく、舞台は1996年のアフガニスタンである。

アフガニスタンといえば、昨年末、当地で人道支援に携わってこられたNGO「ペシャワールの会」の中村哲医師が銃撃されて亡くなったが、それ以前も長いこと戦争が続いている国だ。
この小説の背景には、1979年のソビエト連邦軍のアフガン侵攻がある。
このソ連の侵攻も、長年続いた内戦やクーデターなど国内の混乱に乗じてであって、決してそれまでもアフガニスタンは安定した国ではなかった。
そして、ソ連軍が撤退するまでの10年間に、ソ連側は14,000人以上の死者を出し、アフガン側はその数倍の被害があったといわれる。
しかも、その背景には米ソ冷戦時代の対立があったのだ。

ソ連軍に勝利したムジャヒディーンは、その後、カブールのナジブラ政権を倒すが、その後はムジャヒディーン内部の抗争が続いた。
この小説は、1996年9月、主流となったタリバーンが首都カブールを制圧したところから始まる。

主人公の少女,ビビは5歳。お母さんのロビーナは女子中学校の先生。父親のラマートはかつては火力発電所の技師だったが、操業停止になったため、今はバザールの店に勤めながら、毎日ひそかに発電所に出かけてタービンのシャフトを回している。いつか運転が再開されることを願っているのだ。
大好きな兄のカシムは中学生だ。アミンという下の兄もいる。
それに家には二人の兄の母レザも住んでいる。
このレザという女性をビビはおばさんと呼ぶが、兄たちはお母さんと呼んだりするので、
ビビの関係が最後まで分からず、???だった。
調べてみたら、イスラムって一夫多妻制だったんですね。
そんな説明は、一切なし。当然のように語られているから、現地ではそんなもんなんでしょうね。

そもそもこの物語は、ビビの視点で語られており、文章自体が「ですます調」なのだ。
まるで少年少女向けのお話のよう。

でも、描かれるのはソ連軍の空爆がなくなって喜んだのもつかの間、それより怖いタリバンがやってきたところからなのだ。

イスラム原理主義のタリバンは、女性が一人で道を歩くのも、女子教育も禁止した。
みつかるとたちまち銃殺されてしまう。恐怖の世界だ。
母もタリバンに殺されてしまう。

その後は、ネタバレになってしまうから書かないが、この物語にはアフガニスタンの長い歴史や文化がちりばめられていて、いかに自分がイスラムやアフガニスタンのことを知らないかがわかるし。
アフガニスタンは東にインダス文明、南にメソポタミア文明、西にエジプトやギリシャ、マケドニアそれにトルコといった数々の文明のはざまで、近年は北からはソ連が触手を伸ばしてくるような地帯で、覇権争いが不可避でもあったのだ。

日本のように、ユーラシア大陸の東の端の孤島で、たまに海の向こうから元寇が襲い掛かってきても、神風が吹いて勝った!という物語にすがってこられた幸せな国とは違うのだ。

アフガニスタンには海がないってことも初めて知った。埼玉みたいだ。

それに物語としても大変面白いということも付け加えておこう。
そうそう、忘れないで伝えなくては。
題名の「ソルハ」とは、「平和」という意味だそうだ。


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