昔馴染みの土地だけれど [本と旅の話]
3月のはじめ、仕事で小倉に行き、約束の時間までに余裕があったので、ホテルから小倉の市街地まで歩いてみた。
遠く皿倉山が望めて、なつかしくうれしくなった。
でも、小倉の街は、私が暮らしていた半世紀ほど前とはすっかり様変わりして、あの小倉城が大きな現代建築の陰で小さくなっていた。
かつては、いわゆる水上生活者のバラックが立ち並んでいた、紫川という優雅な名称とは裏腹の、黒く濁った川は、今やおしゃれなお店が並ぶ優美な流れとなっていた。
下の写真(左)の右側に建つカラフルなモダン建築はリバーウォーク。北九州芸術劇場が入っているらしい。
タクシーの運転手さんによれば、昔デパートの玉屋があったところだとか。
紫川の川べりは広い勝山公園になっていて、スポーツを楽しむ人や子供たちがたくさんいた。
梅の花も満開。
もう一つのデパート井筒屋は生き残っていて、新しいビルになっていた。
左手の奥の方に黒い建造物が小さく見えるのは、わずかに残った高炉だろう。
その裏の通りの壁には、松本零士の「銀河鉄道999」の絵が飾られていて、クロスロードミュージアムと書いてあった。でも、裏道みたいなところで、ちょっとさびしい。
北九州出身なのかと思ったら、久留米の出身なんだって。
左の青い屋根の建物は市立中央図書館。
この裏の大通りが清張通り。
かの有名な松本清張にちなんだもので、松本清張記念館もある。
中央図書館にはおしゃれなカフェがあって、有機コーヒーの看板が出ていたので寄ってみたら、知的障害があるらしい女性が元気に働いていた。
カフェの中に、地元出身かゆかりの作家たちの本が飾られていて、
どんな人たちがいるかと見てみると、へ~この人も同郷人なんだという人がたくさん。
もちろんブログでも紹介したことのある村田喜代子さんや、中学の同窓、平野啓一郎さん(生まれは愛知県蒲郡。北九州市八幡西区で育つ)は、言うまでもなく。
(ここからは敬称略で失礼します)
加納朋子、山崎ナオコーラなどの女性作家に、リリー・フランキーや松尾スズキといった作家。
中島義道、藤原新也、高橋睦郎、平出隆に大前研一や磯崎新と、そうそうたる名前が並ぶ。
驚いたのは、あの時代小説の佐伯泰英と葉室麟も。
葉室麟さんは小倉生まれで、私の1コ下。
どこかですれ違っていたりして。
昨年、「鬼神の如く 黒田叛臣伝」で第20回司馬遼太郎賞受賞。
テレビでドラマ化されたりしているから、いくつかの作品は知ってはいたのだけど、
名前と一致していなかった。
そこで、本屋にすぐ寄って『蜩(ひぐらし)ノ記』(祥伝社文庫)を購入。
佐伯泰英のほうは、何しろ冊数が多すぎて、どれから読んでいいかわからないから。
さっそく読んでみた。
これは2012年に直木賞をとった作品。
舞台は豊後(ぶんご)・羽根(うね)藩。豊後だから大分だね。
実は、八幡に住んでいたころ、家(社宅)の庭に、筑前と豊前の境を示す石柱が建っていた。
豊前は小倉から中津を含む小笠原家の領地。
筑前は八幡・戸畑から、福岡全体を含む黒田家の領地。
城内で親友と刃傷沙汰を起こした羽根藩の若侍、壇野庄三郎は、切腹と引き換えに、山あいの村に幽閉され、藩の家譜編纂を行っている戸田秋谷の手伝いをすることを命じられ、やってくる。
そこには秋谷の妻と娘、薫と息子、郁太郎がともに暮らしていた。
『蜩の記』というのは、秋谷が毎日つけている備忘録の名前である。
秋谷は、7年前に全藩主の側室との密通のかどで、10年後の切腹を言い渡され、その間に家譜の編纂をするよう命じられたのである。
あと3年で、編纂を終えなければならず、その間に逃げ出さないように見張って、不審な動きがあれば、即座に切って捨てるというのが、庄三郎に与えられた裏の任務であった。
だが、庄三郎が会った秋谷は、およそ不義密通などはしそうにない清廉な人物だった。
やがて、秋谷の無実を信じるようになる庄三郎。
秋谷の子、薫も郁太郎も、庄三郎に信頼を寄せるようになる。
秋谷らの住む村は、かつては戸田家の領地であり、秋谷は郡奉行として村人にも熱い人望を得ていた。
しかし、今や村は商人に土地を買い漁られ、村人たちは飢饉の年には重い年貢に苦しんでいた。
領主たちに反感を強める村人たち。
秋谷の過去と藩の歴史をめぐる謎、村人と侍との対立、庄三郎と秋谷一家との交流。
いくつもの糸が絡み合うようにして、物語が編まれていく。
今は時代小説ブームなんだそうだ。
たしかに、人情話と歴史とがからむ時代小説はなかなか面白いし、泣ける。
この続きも読まなくては。
遠く皿倉山が望めて、なつかしくうれしくなった。
でも、小倉の街は、私が暮らしていた半世紀ほど前とはすっかり様変わりして、あの小倉城が大きな現代建築の陰で小さくなっていた。
かつては、いわゆる水上生活者のバラックが立ち並んでいた、紫川という優雅な名称とは裏腹の、黒く濁った川は、今やおしゃれなお店が並ぶ優美な流れとなっていた。
下の写真(左)の右側に建つカラフルなモダン建築はリバーウォーク。北九州芸術劇場が入っているらしい。
タクシーの運転手さんによれば、昔デパートの玉屋があったところだとか。
紫川の川べりは広い勝山公園になっていて、スポーツを楽しむ人や子供たちがたくさんいた。
梅の花も満開。
もう一つのデパート井筒屋は生き残っていて、新しいビルになっていた。
左手の奥の方に黒い建造物が小さく見えるのは、わずかに残った高炉だろう。
その裏の通りの壁には、松本零士の「銀河鉄道999」の絵が飾られていて、クロスロードミュージアムと書いてあった。でも、裏道みたいなところで、ちょっとさびしい。
北九州出身なのかと思ったら、久留米の出身なんだって。
左の青い屋根の建物は市立中央図書館。
この裏の大通りが清張通り。
かの有名な松本清張にちなんだもので、松本清張記念館もある。
中央図書館にはおしゃれなカフェがあって、有機コーヒーの看板が出ていたので寄ってみたら、知的障害があるらしい女性が元気に働いていた。
カフェの中に、地元出身かゆかりの作家たちの本が飾られていて、
どんな人たちがいるかと見てみると、へ~この人も同郷人なんだという人がたくさん。
もちろんブログでも紹介したことのある村田喜代子さんや、中学の同窓、平野啓一郎さん(生まれは愛知県蒲郡。北九州市八幡西区で育つ)は、言うまでもなく。
(ここからは敬称略で失礼します)
加納朋子、山崎ナオコーラなどの女性作家に、リリー・フランキーや松尾スズキといった作家。
中島義道、藤原新也、高橋睦郎、平出隆に大前研一や磯崎新と、そうそうたる名前が並ぶ。
驚いたのは、あの時代小説の佐伯泰英と葉室麟も。
葉室麟さんは小倉生まれで、私の1コ下。
どこかですれ違っていたりして。
昨年、「鬼神の如く 黒田叛臣伝」で第20回司馬遼太郎賞受賞。
テレビでドラマ化されたりしているから、いくつかの作品は知ってはいたのだけど、
名前と一致していなかった。
そこで、本屋にすぐ寄って『蜩(ひぐらし)ノ記』(祥伝社文庫)を購入。
佐伯泰英のほうは、何しろ冊数が多すぎて、どれから読んでいいかわからないから。
さっそく読んでみた。
これは2012年に直木賞をとった作品。
舞台は豊後(ぶんご)・羽根(うね)藩。豊後だから大分だね。
実は、八幡に住んでいたころ、家(社宅)の庭に、筑前と豊前の境を示す石柱が建っていた。
豊前は小倉から中津を含む小笠原家の領地。
筑前は八幡・戸畑から、福岡全体を含む黒田家の領地。
城内で親友と刃傷沙汰を起こした羽根藩の若侍、壇野庄三郎は、切腹と引き換えに、山あいの村に幽閉され、藩の家譜編纂を行っている戸田秋谷の手伝いをすることを命じられ、やってくる。
そこには秋谷の妻と娘、薫と息子、郁太郎がともに暮らしていた。
『蜩の記』というのは、秋谷が毎日つけている備忘録の名前である。
秋谷は、7年前に全藩主の側室との密通のかどで、10年後の切腹を言い渡され、その間に家譜の編纂をするよう命じられたのである。
あと3年で、編纂を終えなければならず、その間に逃げ出さないように見張って、不審な動きがあれば、即座に切って捨てるというのが、庄三郎に与えられた裏の任務であった。
だが、庄三郎が会った秋谷は、およそ不義密通などはしそうにない清廉な人物だった。
やがて、秋谷の無実を信じるようになる庄三郎。
秋谷の子、薫も郁太郎も、庄三郎に信頼を寄せるようになる。
秋谷らの住む村は、かつては戸田家の領地であり、秋谷は郡奉行として村人にも熱い人望を得ていた。
しかし、今や村は商人に土地を買い漁られ、村人たちは飢饉の年には重い年貢に苦しんでいた。
領主たちに反感を強める村人たち。
秋谷の過去と藩の歴史をめぐる謎、村人と侍との対立、庄三郎と秋谷一家との交流。
いくつもの糸が絡み合うようにして、物語が編まれていく。
今は時代小説ブームなんだそうだ。
たしかに、人情話と歴史とがからむ時代小説はなかなか面白いし、泣ける。
この続きも読まなくては。
紫川の水上家屋のこと、私の記憶違いでないことが判りありがたく思いました。
by 内山幸郎 (2021-03-14 18:47)