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刑務所サービス? [本のはなし]

先日の福祉関係者の集まりで、福祉をサービスと呼ぶのは抵抗があると語った人がいた。

たしかに「サービス」というと、何かおまけでつけてくれるもの、というイメージがあり、「サービス品」というのは安く特別に提供しているもの、したがって安物という感じがある。

医療サービス、福祉サービスといった言葉を初めて耳にしたときは、たしかに違和感があったが、その後「患者様」などというヘンテコな呼称がまかり通るようになって、ますます医療はサービス業なのだという意識が定着したように思う。

しかし、オブホルツァ―他著『組織のストレスとコンサルテーション―対人援助サービスと職場の無意識』(金剛出版)という本を翻訳した時、「警察サービス」とか「刑務所サービス」という用語を見て、そこまでサービスと言うのかと、さすがに驚いた。

もともと英語では、人が行う人相手の仕事はすべて、「ヒューマンサービス」という。
辞書でサービスserviceを引くと、「公益事業」「官公庁業務」その「部局」などが最初にあがっている。
ほかにも「兵役」とか「軍」を指して、サービスという。
もちろん、いわゆる教会での「ミサ」、「集会礼拝」などもサービスだ。
「奉仕」という意味もある。
ちなみに「サービス品」を、日本では「奉仕品」とも言ってたっけ。
テニスやバレーボールの「サーブ」も同じだ。
そのほか、辞書にはサービスの多様な意味が山のように出てくる。

ところで。
今日紹介する本は、アン・ウォームズリー著『プリズン・ブック・クラブ』(紀伊国屋書店)。
著者はジャーナリストで、副題に「コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」とあるように、彼女が211年から2012年にかけて、カナダの2か所の刑務所でボランティアとして受刑者の読書会に参加した経験をつづった本である。

刑務所で読書会?
私も一瞬、驚いた。

だが、私にもかつて働いていた精神科病院で、古く病舎としては使われなくなった木造建物の一室を患者さんたちと一緒に改造し、机を椅子やソファを並べて、図書室を作った経験がある。
古本屋から安く本を購入したり寄付を集めたりして、図書館分類に従って本棚に並べ、貸し出しも行った。図書館係は患者のボランティアだった。

その図書室で、全病棟の患者さんたちに声をかけ、週1回グループ(フリートークの集まり)を行っていたのだが、実際に本を読んで感想や意見を言い合うという会ではなかった。
はっきり言おう。患者さんたちが本を読むことはあまり期待していなかったのだ。
病気や抗精神病薬のせいで、集中力が低下したり、眠気が強かったりするので無理だろうと思っていたところがある。実際、同じ本を読むには、それだけの冊数を揃えなければならないが、そんな予算もなかった。

また、患者さんの中には、元東大生という人たちも複数いたし、大学教授もいた。
その一方で、中学すらも卒業できなかったという人や、知的障害で施設育ちというような人もいたので、みんなで本を読もうという発想がなかったのだ。
本が好きで読みたい人や、病棟を離れて静かな場所で時間を過ごしたい人が利用できて、中には受験勉強中という患者さんもいたので、勉強に集中できるところがあってもいいと思っていたのである。

だが、本を読むという図書館本来の発想が希薄だったことを、この本を読んで痛切な後悔とともに認識したのである。

そもそも欧米の文化では「読書会book club」というのは人々の生活に古くから根付いているようで、いろいろな物語にも出てくる。重要なコミュニティ活動なのである。

この本に出てくるキャロルは、カナダのオンタリオ州で「刑務所読書会支援の会」を立ち上げ、ボランティアで刑務所での定期的な読書会活動を精力的に行っている女性である。
オンタリオ州と言えば、私も何年か前に行ってしばらく滞在したトロントが首都。
今は、羽生結弦選手の練習拠点として有名である。

著者のアンはトロントで女性の読書会を行っていたが、その参加者の一人キャロルに刑務所の読書会で読む図書の選定に力を貸してもらえないかと誘われ、ついでに参加することを勧められたのである。
しかし、彼女にはかつてロンドンに住んでいたころ、自宅脇の薄暗い路地で強盗に襲われ、危うく命を落としかけたというトラウマがあり、長らくPTSDに悩まされてもいた。
即座に「絶対に無理」という声が彼女の中で大きく響いた。
だが、オンタリオ州裁判所の判事だった父の「人の善を信じれば、相手は必ず応えてくれるものだよ」という父の言葉がよみがえり、ジャーナリストとしての好奇心が不安を少しばかり上回ったのである。

ここでカナダの制度を説明しておこう。
カナダの連邦刑務所では重装備から軽装備まで、刑務所ごとに警備レベルが定められており、受刑者の更生の具合を見て、収容先が変わる。
罰のための、あるいは収容のための施設ではなく、まさに矯正のための施設なのである。
だからこそ、読書会といったボランティア活動を受け入れるのだろう。
実際の作家を読書会に呼んだりもしている。
日本なら、慰問で訪れている芸能人などの話は聞いたことがあるが、発想が違うのだ。
カナダらしく、アボリジニ(原住民)を対象としたプログラムなどもあり、ハーブを燃やして邪気を払う伝統的な儀式も行われているという。

キャロルは、アンのPTSDからの回復にも、刑務所での読書会が役立つのではないかと誘った。
一方、アンは、当時、娘の拒食症が重症化し、介護のためにライターとして勤めていた投資顧問会社をクビになっていた。おまけにアルツハイマー病を患う実母の介護にも手がかかるようになっていた。その気分転換にもなると思われた。
彼女は、刑務所での図書選定委員として読書会に参加すると同時に、その体験を本にまとめることにしたのである。

厳重な身元調査を経て、初めて刑務所を訪れたアンだが、やはり恐怖は付きまとった。
体中にタトゥーのある男たちが18人ほど集まって読書会を開く場所は、本館から80メートルは離れた、看守のいない別館だった(その後、移動するが)。
頼りになるのは、教誨師(受刑者の改悛を助け、精神的安定に導く宗教者)が身に着けている小型の警報機だけ。
やがて、回を重ね、受刑者たちをよく知るようになるにつれ、徐々に恐怖感は払しょくされていく。それでも1対1で面接する際には、やはり緊張が走ったが。

ところで、この本は、読書会で読まれた本ごとに章だてされているのだが、その中には『怒りの葡萄』といったクラシックや、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』など、比較的最近の私も読んだことのある本もあった。
だが、『ガーンジー島の読書会』『サラエボのチェリスト』『もう、服従しない』『ポーラ―ドアを開けた女』『ユダヤ人を救った動物園』『またの名をグレイス』など、けっこう社会的な問題がテーマの本が多いことに驚く。
本を購入するための資金を募り、みんなが読んで集まるのだ。
もちろん、おやつに出るクッキー目当てに参加する不埒者もいる。
そうした参加者をどうするかも、受刑者を含めて考えるのだ。

参加者たちは、カナダ生まれジャマイカ育ち、イタリア生まれなど、出自もさまざまだが、みな薬物がらみの犯罪や故殺、連続銀行強盗などの結構な重罪人である。
こうした受刑者が月1回とはいえ、上のような本を読みこなせるのかと思ってしまうのは、やはり偏見があるのだろう。
だが、大学の学生でも無理ではないかと思うのだ。
なにしろ、読み込み方がすばらしく、自分なりの意見をそれぞれが主張しあうのだから。
たとえ、刑務所内では何も楽しみがなく、お互いに自分の犯罪自慢ばかりしあうよりは、本を読んでいる方がいいという意見はもっともだと思うにしても。
どの本も読んでみたくなる。
それにしても、カナダの犯罪者は知的レベルが高いのか?

もちろん、全員が成功したというわけではない。
ほとんどが薬物がらみなので、刑務所に逆戻りしてしまった人もいる。
でも、リハビリテーションや矯正プログラムなどというと、無意識のうちに対象者を一段低い能力の人とみなしてしまう傾向がどこかにあるのだろう。
その後、刑務所での読書会が受刑者の更生に効果があるとわかり、
オンタリオ州全域、さらにはカナダの多くの州で取り入れられるようになったという。
「彼らが夢中になっているのは、もはや麻薬ではなく、書物なのだ」
でも、カナダでだって、この試みが評価されるようになったのは最近のことなのだ。
やはり、刑務所=懲罰・隔離の場という観念を崩さなければ。

精神科病院での図書室グループも、実際に本を読んでみたらどうだったんだろう。

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