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贅沢な時間 [こんなことあんなこと]

転居してから10か月が経とうとしている。
よく「慣れましたか?」と聞かれるたびに、うーんと考え込む。
「慣れた」というのは「戸惑いがなくなった」ということだろうかと思うのだが、この1年半、ずっとステイホームしているので、戸惑う機会も迷う機会もほとんどないのである。
何しろ外出と言えば、2日ごとに隣のスーパーと往復するくらいなものなのだ。
これを「慣れた」といっていいのだろうか。

家の中は、引っ越す動機ともなった、物が部屋にあふれかえっている状態とまではいかないものの、何年も住んでいるような生活感があふれてきた。

新しい日常といえば、かかりつけのお医者さんと美容院。
結局、内科は近くの医者に変えたが、歯医者さんはもといた文京区まで通うことにした。
そこに通い出す前は、歯医者といえば、虫歯になったり、詰め物が取れたりしたときに、ちょこちょこッと直してもらうだけだったのだが、今の歯医者さんは、月1回、ものすごく丁寧にお掃除してくれて、歯や歯茎が痛くなることもなくなったからだ。

問題は美容院だった。
近くの美容院に2度ほど通ったのだが、毎回違う美容師で、出来上がりも満足のいくものではなかった。
それで、歯医者同様、もとの美容院に戻ることにしたのだが、担当してくれていた男性の美容師さんが7月くらいに独立して、新しく美容院を開いたのだ。

根津の静かな住宅地に建った、2-3階が住居の小さなお店。
完全予約制で、椅子も一つ。
助手も雇わず、すべて一人でやっている。
最初に地図を見ながら行ったときには、少し道に迷っていたら、美容師さんが店から探しに出てきてくれた。

先日、3回目だったのだが、シャンプーしてもらっていると、しみじみ「なんて贅沢な時間だろう」という感動が沸き上がってきた。
何しろお店の外も静かだが、美容師さんもこちらが話しかけなければ、ずっと静かに手を動かしていてくれるのだ。
あとは、落ち着いた音楽が流れているだけ。

今までのお店には若い男女の美容師さんがたくさんいて、お客と結構話が盛り上がって、時々静かにしてくれないかなあと思ったこともあったし、実際、そうお願いしたこともある。

指名制で、カットやパーマなどのメインの施術は、決まった美容師さんがやってくれるのだが、シャンプーやセット、カラーリングなどは、若い人がやってくれ、指名の美容師さんはその出来上がりをチェックし、仕上げをする仕組み。
いわば、分業と流れ作業なのだ。
これまではそれが普通だと思ってきた。

だが、1人の美容師さんがすべて自分にかかわってくれる。この時間と空間が私のためだけにある。なんという贅沢感。

落ちた髪の毛を集めるのもその人がやってくれて、申し訳ないような気持ちさえする。

そう感じて、思わずそのことを言わずにはいられなくなり、伝えたら、意外だったようで、美容師さんも驚いて喜んでくれた。

そうなんだよなあ。チームもいいけれど、一人の人にじっくり世話してもらうって気持ちが良いものなのだ。
新しいスタイリッシュな店のあしらいもあったと思うが、何より自分が大切に扱われているという感じが良いのである。

考えてみたら、歯医者さんも一人でやっていて(受付の人も、歯科衛生士などもいない)、その時間は1対1の時間なのだった。

私がこうした場所を選んでいるのは、癒してくれる場所だからなんだなあと思う。












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今日は何曜日? [本のはなし]

今日は何曜日?って認知症のテストのようだけど。

朝、起きてテレビをつけると、「あさイチ」をやっていた?
あれ?今日は日曜日じゃないの?

大学も夏休みで授業がないので、曜日の感覚が薄れていた上に、
原稿の締め切りもクリアーして、すっかり気が緩んでいた。
そこに仲間の一人がコロナ陽性になって、娘さんと一緒に自宅隔離生活をし始めたので、夜中までメッセンジャーでチャットを続けていたりしていたので、すっかり日常生活のペースが狂ってしまっていた。

おまけにオリンピックとパラリンピックでテレビを見なくなってしまったことも大きい。
朝から一日中やってたからね。

それともう一つ。
佐伯泰英の小説『出絞(でしぼ)と花かんざし』(光文社文庫)を寝る前に読みだして止まらなくなって、数日夜更かしが続いてしまったことも大きい。

佐伯泰英が北九州出身の作家だということは、数年前にたまたた北九州市立図書館に立ち寄ったときに、郷土の作家たちというコーナーでたまたま知った。

彼の作品は書店に行くと書棚いっぱいに並んでいるので、否応なくその存在は気になっていたが、同郷(私が北九州を郷里と言えればだけど)だとは知らなかった。

それで読んでみようとは思っていたのだが、何せ作品が多すぎる。
しかもシリーズ物がほとんどで、何巻も何十巻もあるものばかり。
どこから手を付けてよいやら悩んでいるうちに、今に至ってしまった。
読みだして気に入ると、次から次へと読みたくなるので、ほかの本が読めなくなるのが嫌なのだ。(へんかしら)

たまたま、書店で「1冊読み切り!」と帯にあった本を見つけたので、早速購入した。
「一冊読み切り!」とわざわざ帯に書いてあるところを見ると、私みたいにシリーズ本には躊躇している読者が多いのだろうな。

『出絞(でしぼ)と花かんざし』
帯に「王道にして新境地、佐伯泰英の新たなる傑作!」とうたっているが、どこが王道で、どこが新境地かわからず、気になる。
海外ミステリなどは必ず後ろに解説がついているのに、日本の小説にはついていないのね。

あらましを説明すると。
舞台は江戸時代の山城の国、京の都。
時代小説というところが「王道」なのか。
新境地は?お侍が出てこないところなのかな。

主人公は、鴨川の源流、北山の一角にある山奥の雲ケ畑という郷のはずれの「山小屋」に生まれた女の子「かえで」。
山稼ぎ(山仕事)をしながら鴨川の水源の一つ、祖父谷川の水守をしている父、岩男とヤマという赤犬と一緒に暮らしている。
母は京の祇園の出で、かえでが物心つくかつかないうちに厳しい山里暮らしに慣れずに死んだといわれて育った。
山稼ぎをする父とヤマと一緒に山を歩きまわるかえでを見守るのは、6つ年上の従兄の萬吉。

萬吉の父も山稼ぎをしているが、三男の彼はいずれは京で修業をして宮大工になることを夢見ている。
そんな萬吉を見て、かえでもまた京に出たいと思っていた。
宮大工になるには読み書きができなければと考えた萬吉は、かえでと一緒に村長の妻の茂に手習いを頼む。

茂は祇園の出で、読み書きができたのだ。彼女はまた、同じく外者だったかえでの母を知っていた。

ある日萬吉は、かえでを京の都を遠く望める峠まで連れていき、見せてやることにした。
その帰り道、祇園のお茶屋の主夫婦と出会う。夫婦は萬吉をかえでを気に入り、いずれ京に出てくることがあれば頼ってくるようにいう。

そうこうするうちに、かえでの岩男が行方不明になり、山で死んでいるのが見つかる。
天涯孤独になるかえで・・・・

とまあ、こんな話なのだが、この萬吉とかえで。萬吉は子どもながらにしっかりとした少年で、体格も人一倍大きく、賢くて大人びている。
かえでもほうも、愛らしい少女で、年を経るうちに舞妓よりも美しいといわれるようになる。
二人とも気立てもいいので、周りの人もみな手を差し伸べたくなるのだ。
しかも、二人とも優れた能力と頑張りを見せていく。

こんな、美男美女の幼い二人の恋物語になる前のはなし。
そんな話あるか?というのは野暮なこと。
艱難辛苦を乗り越えて、二人は進んでいくのであります。

佐伯泰英がストーリーテラーとしては名高いことは知っていたが、
それはそれはテンポよく話が進んでいくので、寝る前に読むと夜更かししてしまうのだ。
さほど人間心理の裏やらひだやらの深読みはしなくてもOK。
これが大勢の読者をひきつけるコツなのか。
1冊だけ読んで評価するのは早いけどね。









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ごめんなさい [こんなことあんなこと]

またまたブログの更新が途切れて、7月が完全にすっ飛んでしまった。8月ももう終わりだ。
どうかしたんじゃないかと心配されてしまった。ごめんなさい。
いつも言い訳ばかりだけど、今回もまた。

どういうわけか原稿の依頼が重なって、それもドカーンと重たいやつ。
一つはコロナ禍の今に向けた一般書の依頼。
こちらは今、ゲラ刷り原稿の構成の最中。
もう一つは、雑誌の特集の企画編集。
雑誌の方は、執筆依頼が一通り完了して、自分の担当を構想しているところ。
特集記事の依頼は受けたことは何回もあるけれど、企画編集というのは初めて。
編集委員会の偉い先生たちとの編集会議も、東京駅八重洲口のビルの会議室で。対面とオンラインのハイブリッド式で行われた。
お弁当は出たけれど、集まっての会食は躊躇われたので、持ち帰った。

そんな中、雑誌の原稿依頼が来て、そちらは来年の春に延ばしてもらった。

少しは違うことを書こうと思うのに、いつもおんなじことになってしまうのは我ながら情けない。
インプットが減ってしまったせいだと思う。
人と会わないし、いろいろな情報が入ってこない。
結局ネット情報になってしまう。

ただ、最近新しいテーマの講演依頼があった。
「テレワーク疲労」

ブログで『スマホ脳』の感想を書いたり、雑誌に「Zoom疲労」のことを書いたりしたためだ。
どちらも自分の日々の体験からの関心事だったのだが、内容的には主に海外の論文を読んでまとめたもの。
自分で研究しているわけでもないのに、学会講演なんていいのだろうかと躊躇したのだが、断り切れなかった。

そんなこんなで、ついついブログへのアウトプットも減ってしまった次第。
FaceBookの方は毎日、何かしらアップしているのだけれど、『スマホ脳』でも指摘されている通り、ネットで得た内容は記憶に残らないというのは、本当だ。

FaceBookに限らず、このブログの記事も、過去にさかのぼってみてみると、「へ~こんなこと書いていたっけ」と自分で感心するなんてことが多いのだ。
読むだけでなく、自分で文章を書いているのに、記憶に残らないというのは、どんなもんだろう。
特に英文の文献は、読んだときはへ~っと思って読むのだが、それっきり忘れてしまうことが多い。
コピーした紙の山を時々整理して、あったあったこんな記事と懐かしく思ったり、初めて読むような気持になったり…。
それで、もう一度大事にしまい込む(紙の束になる)。
これってただの加齢?それとも認知症?

漢字がすぐ書けないというのは顕著な変化。
実際に手を動かして文字を書くほうが、覚えられるということなのだが。
名前もそうだ。外国人の名前なんてほんとにすぐには出てこない。
パズルを考えるみたいにして、いろいろ自分にヒントを出してみて思い出す。
ネット検索も便利。(でもこれはすぐ忘れる悪循環)

ブログには書いていないけど、書こうと思っている本だけは溜まってしまっている。
そうなると、かえってどの本から取り上げようかと迷ったり、いざ書こうと思っても、今度は時間が経ってしまってストーリーを細かく思い出せなかったり…、トホホな毎日が続いている。

というわけで、なんだか言い訳を書いてお茶を濁しているだけのような気もするけれど、今日のブログはとりあえず完了。(ゲラの校正が待っている…)
次はいつアップできるだろうか。
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久々のぺレス警部 [本のはなし]

6月も20日となり、もうすぐ1年の半分が過ぎていく。明日は夏至。
その後はどんどん日が短くなって夜が早く来る、ううう…

暗い季節と言えば、英国のシェトランド。やみくもな結び付け方…か。

久々に、アン・クリーブスのぺレス警部シリーズを読んだ。
昨年11月に出た『空の群像』。
TVドラマ化されたのを繰り返しみているので、どうしても役者の顔が浮かんでしまう。


最近の海外ミステリーでは、主人公が男性で、妻や恋人を失くし、残された一人娘とはうまくいかない…という設定がなぜかやたら多い。

シャーロック・ホームズもポアロもモースも独身だし、バーナビー警部には奥さんがいるけれど、料理下手で美人でもない(性差別?)。アメリカのコロンボの妻は話に出てくるだけで、決して顔は見せない。

妻や恋人があまりに強力で魅力的な存在だと、ミステリーとしてのストーリーが混乱するからかしら。
確かに論理的思考が勝負のミステリーだと、情動脳はあまり働かない方がいいかもね。ドラマではその葛藤が描かれることが多いのだけど。

ぺレス警部は、シリーズの最初の方で婚約者フランを失い、その忘れ形見のキャシーを娘として育てているが、いまだにフランの思い出に縛られている。

でも、今回は、2作前の『水の葬送』で登場したインヴァネス署のウィロー・リーブズ警部が登場して、ぺレスの人生に変化が起きそうな予感が。

ぺレス警部シリーズでは、毎回シェトランド独自の社会や文化が描かれていて、興味が尽きないのだけれど、今回はシェトランド諸島の自然が描かれる。それも、大雨による地滑り。
シェトランド諸島は北極に近いため、木登りする木さえないとキャシーが嘆くほど。しかも、平らな島であるため、地滑りが多発しているという。

本書の始まりも、ぺレスの知人であるマグナス老人の葬儀の最中に大規模な地滑りが起こり、主要な道路が寸断されてしまう。
そして、周辺の泥流に飲み込まれた空き家から、身元不明の女性の遺体が見つかるが、検視の結果、地滑りより前に殺されていたことがわかる。
身元調査は二転三転し、謎が謎を呼んでいく。

シェトランド諸島では誰もが知り合いでありながら、その裏にはみんな秘密を抱えているのだ。

そこに現れるのが、ウィロー・リーブズ警部である。二人は互いに意識しながらも、近づけないでいる。中年の恋ですね。

ところで、本書は文庫本としては分厚いうえに、字がものすごく小さい。昔の文庫本の字のサイズだ。
最近は字が大きくなって読みやすくなったのだが、
これは寝る前に読むには適さない。
おかげで読み終わるのに苦労してしまった。






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フランス発ミステリーで感動 [テレビ番組]

今日は、久しぶりのテレビ番組の話です。

2019-2020年にフランスで制作され、日本では5月にAXNミステリーで全9話を一挙放送された「アストリッドとラファエル 文書係の事件録」。

主人公が自閉症というのは、アメリカの「グッド・ドクター 名医の条件」などが先行している。
これは医療ドラマとしてもなかなかよくできており、後見人役の院長とのからみにもなかなか泣かせるものがあった。
シリーズ4がWOWWOWで放送されるということだが、あいにく契約していないので、通常のケーブルテレビで放映されるのを待とう。

こちらの「アストリッド…」の主人公アストリッドは、犯罪資料局で働く30歳の自閉症の女性。
自閉症者らしいこだわりや話し方に特徴があり、感覚過敏のため大きな物音や人に触れられるのを嫌う。身体つきは華奢で、バンビのような細く長い脚でぎこちなく歩く。
外見も肌が抜けるように白く、ポニーテールにした髪の毛も白っぽいブロンド。(スウェーデン人なのかな)
そのため、「陽に当たってないのか」などとからかわれている。

実際、彼女は学校でも「レインマン」とか「レインウーマン」とか、自閉症をからかわれたりしていたために、人としゃべらなくなって、知能が低いとみなされ、父は福祉サービスから施設に入れるように言われていた。
母も、彼女が幼い頃に家出し、今も音信不通である。
そんな娘を不憫に思った父親は、施設には絶対入れないと、一人で彼女を育ててきた。
彼女は警官だった父親から事件の話を聞くのが大好きで、幼い頃から事件調書を読んだりパズルの謎解きが好きで、それにのめり込んでいた。
そのため、犯罪に関しては犯罪学者や監察医も顔負けの知識をもっている。
父親が事件で命を落としてから、後見人になった父の親友の世話で犯罪資料局で文書係としての居場所を提供してもらったのだ。
今は使われなくなった紙の倉庫を「紙の部屋」と呼んで、彼女だけの分析のための部屋にしている。
几帳面でずば抜けた記憶力や分析力をもつ彼女は、犯罪資料局に保管されている過去の事件調書や証拠品などに目を通しており、すべてを頭に入れている。

もう一人の主人公ラファエルは、現場が大好きな女性警視である。
論理的で几帳面なアストリッドとは対照的に、ラファエルはADHDかと思うほど、がさつで猪突猛進型。机の上はいつもとっちらかっている。
外見も肉付きよくがっちりしており、歩き方もたくましい。
何話目かで、そんな彼女の父親が有力な法務省の偉いさんであり、彼女は父親に反発して刑事になったという過去が明かされる。
また、彼女自身、離婚しており、自閉症の傾向がある一人息子の親権を夫に取られそうになっているのだ。

家族との葛藤と孤独が、このドラマの隠されたストーリーなのである。
ラファエルはがさつな外見とは裏腹に、やさしく思いやりのある柔らかな内面をもっているのだ。

そんな二人が、ある事件をきっかけに知り合い、ラファエルはアストリッドの犯罪学者としての才能に気づく。
そして、ラファエルはアストリッドを捜査チームの一員としてスカウトする。
やがて二人は、お互いを深く理解するようになり、最強のバディとなっていく。

この2人の女性同士の友情の描き方がとてもよく、感動してしまった。
しかも、ラファエルの相棒だった若い男性刑事が、アストリッドにラファエルを取られてしまったように感じて悩んだり、とても人間的な面があふれたドラマなのである。

それに、アストリッドは自閉症者の自助グループに通っているのも、現代らしいセッティングで面白い。
サークル状ではなく、四角く椅子を並べてメンバーが語り合うのは、もっぱらわかりにくいコミュニケーションをする「普通の人々」との関係の難しさ。
語られるさまざまな悩みのなかには、くすっと笑うようなこともあるのだが、
多くの視聴者もなるほどねと自閉症者を理解するきっかけになりそうな気がする。
しかも、そのメンバーたちが事件解決に一役買うようにもなっていく。

なんだか、あったかい気持ちになれるドラマ。
次のシリーズがあるのかどうかもわからないのだが、是非あってほしい。





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久々のおすすめブック [本のはなし]

編集者の方からのお勧めで、梨木果歩さんの『ほんとうのリーダーのみつけかた』(岩波書店)を読んだ。

昨年7月に出た本で、8月には2刷がでていた。

私はかねてより梨木さんの大ファンで、たいてい読んでいるのだが、この本の帯に「あなたの、いちばん頼りになるリーダーはだれ?」とあったので、気になっていた。
グループセラピーをやる身としては、グループのリーダーは重要関心事なので。

果たして梨木果歩さんは、だれと答えるのだろう?
そんな興味で開いてみると、表紙の裏に、こう書いてあった。

非常時というかけごえのもと、みんなと同じでなくてはいけないという圧力が強くなっています。息苦しさが増す中で、強そうな人の意見に流されてしまうことって、ありませんか? でも、あなたがいちばん耳を傾けるべき存在は、じつは、もっと身近なところにいるのです。あなたの最強のチームをつくるために、そのひとを探しに出かけよう。

身近なところにいる人? う~ん、だれだろう。

この本は、梨木さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(理論社)が岩波書店で文庫化されたのを機に、企画されたものという。

そもそも『僕は・・・』は、2006年に教育基本法が改正になり、愛国心など、個人の感情にかかわることまで明文化されたことに違和感を感じた梨木さんが、翌年に理論社のウェブページに連載したものがもとになってできた本なのだそうだ。

文庫版はこのブログでも2015年6月22日に紹介していた。
そのときに『僕は・・・』から引用していた部分を、再度ここに引用しておこう。何度読んでみてもいいところだし、今回の『ほんとうの・・・』にもつながるところだから。

人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許しあえる、ゆるやかであたたかい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる。群れていくことも認めてくれる。けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ。

 僕はショウコみたいなヒーローのタイプじゃない。  けれど、そういう「群れの体温」みたいなものを必要としている人に、いざ、出会ったら、ときを逸せず、すぐさま迷わず、この言葉を言う力を、自分につけるために、僕は考え続けて、生きていく。

  やあ。
  よかったら、ここにおいでよ。
  気に入ったら、
  ここが君の席だよ。

『僕は・・・』は、そのタイトルからもわかるように、最近漫画にもなって話題の吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』のアンサーブックでもある。
梨木さんは、「君たち」という問いに対して、「僕は、そして僕たちは」と答えている。その意味に、遅ればせながら今回初めて気づいた。
『僕は・・・』にもよく読めば書いてあるのに。

つまり、はじめは「僕はどう生きるか」なのだ。
それから「僕たちはどう生きるか」がくる。

教育基本法の改正から15年ほど経った今、コロナ禍で人々は不自由な生活を強いられている。
強いられていると言っても、実態は強制力のない、したがって保証もない「緊急事態宣言」があるだけなのだ。
そのだれが命令しているのかがわからない中、自分の命を守るため、社会を守るためというお題目のもとに、個人の自由がないがしろにされつつある。
だが、一方でそんなことはお構いなしに、したいことをする(その権利がある)と主張する人もいる。

『ほんとうのリーダーのみつけかた』が書かれたのは、このような時だからこそ、若い人たちにも考えてもらいたいという思いからがあったようだ。

さて、リーダーはだれでしょう。




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餅は餅屋を再度学習 [こんなことあんなこと]

このところ、またまたブログの更新が延び延びになってしまって、具合でも悪いのかと心配されてしまった。

そんなことはなく、おすすめブックスもあるのだけれど、またまた雑用に追われて…。
いったん引っ越し後の整理が一段落した(とにかく中につめ込んだ)と思っていたら、早々と夏日なんてのがやってきて、衣替えをしなくてはならなくなったのが、事の発端。
冬物をしまおうとしたら、これがとてもかさばって、入りきらないのだ。
また、夏物もとりあえず突っ込んだだけだったので、春先の服と盛夏の服がごっちゃ。
結局、部屋が冬物と夏物の服でまたまたカオス状態に舞い戻り。

この数か月で「収納を増やすより、物を捨てるべし」と学んだはずだったのだが、とうとう新たな収納棚を購入することを決意、ネットで注文した。
組み立てサービスもあったのだが、1万円以上もするので、頼まなかった。

これが間違いだった。
品物が届いて段ボール箱を開いてみると、「危険なので2人で組み立てること」と注意書きがあった。
(そんなの聞いてないよ~)
たしかに、木製の棚は幅76㎝、高さ180㎝。重さは28キロもある。
どうやって持ち上げるのか…。

考えて、藍染めを習っていた母が作った大きな風呂敷を、実家を整理したときに貰ってきていたことを思い出した。形見だわね。
それを床に広げ、その上に板を並べて組み立てることにした。

上と敷の布団を包めるくらいの大風呂敷。200㎝四方くらいは優にある。
重い棚も載せたまま布をもってひっぱれば、難なく滑るように移動できる。
ありがたや。

あとは、通販で購入したかわいらしいピンクの電動ドライバーが大活躍。

説明書を見ながら、調子に乗って組み立て作業を進めていき、あとは縦にして、天板をはめればいいだけになった。

ここでも風呂敷の一辺を両手で引っ張り上げると、重い棚も難なく斜めにできて、後は梃子の原理でちょっとの力で立たせることに成功!
厚手の綿の風呂敷は摩擦係数が高くて滑ったりしないので、実に楽々と作業ができた。

ここまでは、よかったのだ。自分をほめたい気持ち。

だが、側板の溝にうまくはまっていたはずの背板が、縦にしたら外れてしまい、天板にもうまくはまらなくなってしまった。
挙句に何度も天板のプラスねじを緩めたり閉めたりしていたら、とうとうネジの穴がつぶれてしまい、背板の上部が浮いて隙間ができたまま、どうにもならなくなってしまった。

でもなんとか棚板もはまったし、背板の隙間は本を並べて隠すことにした。

やっぱり、餅は餅屋。お金はかかっても組み立ては頼むべきでした。
そういえば、前回、パソコンのデータ移行についてそう書いたのだったね。
棚の組み立てはそんな専門家でなくてもと、甘く見てしまった。

ネットで調べたら、ネジの穴がつぶれることを「なめる」というらしい。
ゴムを挟んでみるといいらしいと分かったので、また時間のある時に挑戦してみよう。

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パソコンを変えてみた [こんなことあんなこと]

新居に引っ越してから4か月が過ぎようとしている。
早いような遅いような…。
COVID-19になってから、時間の感覚がおかしくなっているから、よくわからない。

大学の年度もほぼ終わり、学会も何とか終了したところで、
パソコンを新しくした。
これまでのパソコンは処理速度も遅くて、モニター画面もおかしくなってきていたのだ。

データ移行作業は、富士通の若いお兄ちゃんに来てもらって、すべてやってもらった。
このところ、専門スタッフにお願いすることに躊躇がなくなった。
お金で済むことなら、なんでもやってもらおう。(なんかすごい金持ちみたいじゃないか)
実際、以前は何でも自分でやると思っていたが、システムが複雑になりすぎて
私の手や頭に負えなくなってきたのも事実。

お兄ちゃんの手元を見ていると、動きのはやいことはやいこと。
やっぱり、餅は餅屋だね。

メールのアカウント設定もすべてやってもらって、うれしい。
hotmailとbiglobeとso-netにアカウントがあるのだが、
新しいメールソフトは「outlookにしますか?」と尋ねられ、「???」
確かに、いつのころからか、Outlookという文字がメールアカウント欄にあるので
なんだろなと思っていたのだ。
Outlookという文字列は以前から知っていたし、かつては使ったこともあるような気がするのだが、
Zoomでスケジューリングを行うと、自動的にOutlookの招待メールが立ち上がる。
いつも、余計だなと思いながら削除していた。

でも、Outlookでないと、メールのデータ移行ができないというのだ。
そりゃ大変。

でも、なんだかんだ操作してくれて、メールのデータをほとんど新しいPCに移行することに成功した。
すごい。
それにOutlookでメールを一括管理できて、メールの作成なども簡単だという。
ついでにbiglobeメールについても、いろいろやってくれて、2000通以上のメールを回復。
引っ越しでプロバイダーを変更したので、うまくいっていなかったのだ。

キーボードもマウスもいい感じ。
これからPCがサクサク動いて、仕事がはかどるかしらね。
ブログもサクサク更新できるといいな。

   
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驚いた!2月がまったくのブランク! [こんなことあんなこと]

ブログの更新をしないでいることが気になっていたのだが、
たまたま開いてみたら、前回のページが1月21日だったことに気づいた。
なんと、2月がなくなっている!!

1月から2月にかけて、2回目の緊急事態宣言で、これまで何とか精神科病院で実習ができていたのに、
急きょオンライン実習に切り替わった。

といっても、オンライン実習なんてやったこともないし、去年、4年生の総合臨地実習をオンラインでやって、そこそこ充実した実習になったと思ったけれど、
彼らは3年生の時に病棟実習をしているから、精神科とはどういうところか、そこに入院している患者さんはどういう人たちか、どんな生活をしているかは知っていた。
あとは、ネットで様々な情報を得て、患者さんの世界を広く知るという課題はそれなりの成果があった。

ところが、3年生は全くの白紙である。
たいていどこの大学でも、精神科での実習に入る前は、学生たちは不安をもっている。
中には、自分が担当すると患者さんを悪くするんじゃないかという恐れをもっている学生もいる。

だが、今回、難しかったのは、精神障害を抱える人への差別意識が露骨で、しかも2週間の実習をしてのちもあまり変わらなかった。
彼らの差別意識は、あきらかに不安の裏返しなのだが、実際に患者さんと接していると、
自分と違わないじゃないかということが、身にしみてわかってきて、そうすると、偏見とか差別も気づきやすくなり、それが間違っていると気づける。

ところが、いくら模擬患者とインタビューしたり、事例を自分たちで作ったりしても、結局不安はぬぐい切れないのだ。
そのあたりを指摘すると、学生はとたんに防衛的になり、攻撃的になった。
そうでなくても、実習指導をしていると、短期集中の思春期グループをやっているような気がするものだが、今回はそれがきわだっていた。
思春期というより、反抗期か?

それに、コロナのせいで家族がメンタルな問題をかかえていたりする学生も複数いて、
彼らが抱えている問題の大きさも影響していたかもしれない。

そんなこんなで頭も体もクタクタだったことが、ブログの更新を遅らせた一つの要因。
さらに、そこにいくつかの原稿が重なったこともあって…
今は、確定申告の書類づくりのためのレシート集めなどでおおわらわ。
なにしろ、書類の山の中に領収書としてとっておいたはずのものが消えてしまっているのだ。

ああ、どうすりゃいい?

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インターネット漬けの毎日 [こんなことあんなこと]

年明けに緊急事態宣言が発令され、これまでせっかく松沢病院で実習を受け入れてもらえていたのに、オンライン実習に切り替えられることになった。

昨年の最初の緊急事態宣言のときも同じくオンラインになったが、すでに精神科病院での実習が済んだ4年生の総合臨地実習(3週間)ということで、
自分の関心のあるテーマについてネットサーチをしてプレゼンしたり、オンライン体験グループをやったりして、予期した以上に成果が感じられた。

今回は未実習の3年生で、精神科病院がどういうところか、そこに入院している患者さんがどのような人たちなのか、想像もつかない学生たち。
学生も大変だが、指導する方も大変。

それに、朝の10時から12時、午後も13時から17時ごろまで、Zoomとつながっている。
2週目に入り、2日目からは学生の個人ワークやグループワークの時間は、教員は入らないでよくなって、自分の仕事ができるようになって、ちょっとほっとしている。

おまけに、画面の顔が真っ黒けにならないように、ずっと遮光カーテンを引いているので、何日も日を浴びずに、座りっきりでいるので、骨粗しょう症になるのではないかと心配になる。

そんなとき、アンデシュ・ハンセン著『スマホ脳』(新潮選書)という衝撃的な本を読んだ。
著者はスウェーデンの精神科医である。
原題は、『スクリーン脳』。
スクリーンとは、スマホだけでなく、タブレットもパソコンも含めてのデジタル画面のことを指す。

要は、「人間の脳はデジタル社会に適応していない」という内容だ。
スウェーデンでは大人の9人に1人が抗うつ薬を服用しているらしい。
日本同様、スウェーデンでも、人の睡眠時間が短くなっているという。
それがスマホなどのデジタルツールのせいだとしたら…。

日本でも、今やスマホ依存外来などを設置している大学病院もあるようだが、
なぜ、人はスマホを手放せないのか。

たしかに、レストランでおいしい食事をしているはずの家族づれやカップルが、話もせずに互いにスマホやタブレットに見入っている光景はよく見る。

大学でも、授業中はスマホを禁止していたのだが、今では机の上に堂々と出していて、講義で聞いたことについて、すかさずスマホで検索しているのだ。研修会でも、けっこうスマホですぐ調べて教えてくれる参加者がいる。

私も、検索したくなる気持ちはわかる。
メールが届いていないか、着信音がすると、すぐに確かめたい。
フェイスブックに何か記事を書きたい。書いたら、「いいね」やコメントが返ってこないかと気になる。
今や、WHOも「私たちはウィルスの感染拡大(パンデミック)に付随して、インフォでミックにも襲われている」と警告しているそうだ。

でも、なぜなのか。

それは、人間の脳の仕組みと関係しているというのだ。
人間の脳は、危険から身を守るために進化してきた。
そのため、もともと新しい情報を求める性質があるのだという。
そして、検索してすぐに新たな情報が出てくると、ドーパミンの分泌が促される。
つまり、スマホは私たちの最新のドラッグだというのである。

長い人類の進化の歴史から見ると、あっという間にこれほどのデジタル技術の進化があり、危機に対応すべく組織されてきた脳神経や免疫などのシステムが適応しきれなくなっているというのだ。

スマホがあるだけで、人間の集中力は下がり、記憶力も落ちる。
たしかに、こうやってブログで記事を書いていても、意外と書いた内容について覚えていないことが多くて、自分で過去のブログを読み直して、初めて読んだように面白いと感じることがあるのだ。自分が書いたものなのに。
年相応に記憶力は若干落ちてはいるが、それほどとは思えないのに、不思議だった。

手書きでメモしているより、デジタルな記録の方が記憶に残らないらしい。
保存したら安心して、何を保存したかを忘れてしまう。でも、どこに保存したかは覚えているらしい。

なので、スウェーデンでも子どもたちのIQが下がってきているというのだ。これまでは、年々上がっていたというのだが。
あと、感情知性も低下しているというのが怖いところだ。
人の気持ちがわからない。発達障害が増えているのも、ひょっとしたらSNSの影響かも。
トランプがあれほど多くの人を引き付けるのも。

だから、スティーブ・ジョブスは自分の子にiPadを持たせなかった。

それを考えると、日本はIT化が遅れていると嘆いているのは、とんだ勘違いかもしれない。
コロナを機に、小学生からパソコンやタブレットを一人に一台もたせる学校が、日本でも出てきていると聞いた。
それは、子どもたちにドラッグを与えているようなものだとしたら、空恐ろしい。






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