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もうクリスマス? [日々の出来事うっぷんばなし]

気が付けばクリスマス。
今年は春先から時間が止まって、息をひそめるようにして暮らしていたから、季節感がまったくない。
いつの間にか夏が通り過ぎて、秋もいつの間にか行ってしまい、気づいたら年末。しかもクリスマスだって。

キツネにつままれたよう…。

大学の講義も大学院のゼミも休みに入り、誰とも口を利かずにひたすら段ボール箱との格闘をしながら日々が過ぎていく。

新居は予想以上に便利なところにあって、スーパーは徒歩1分だし、2階には大きな百均のお店が入っていて、ここでたいていのことは片付く。
百均のお店はいつ行ってもスーパー以上に混んでいて、レジに長い行列ができている。しかも、店員さんがすぐれていて、どこに何があるかをすぐに教えてくれる。対応も丁寧。

下のスーパーは、伊勢海老やらなにやら高級食品も売っていて品物もびっくりするほど豊富。
これまでの行きつけの千駄木の小さなスーパーとはかなり違う。

でも、中国人客が多くて、昨日、レジの列の前に中国人の男女カップルがいて、カートの上と下のバスケットにたくさんの品物を買い込んでいた。(レジ袋の大を5つも購入)
でも、見ていると、品物の清算を終えたとき、カートの下のかごにイチゴが3箱残ったまま。
高級イチゴだ。
かごの品物がいっぱいだったので、レジの人が下のかごのイチゴは見ただけでレジに打ち込んだのか?
でも、おかしい。後ろの私を何やらふり返ってみたりしていたし。でも…。

続いて自分の清算の番になったときに、前の人の下のかごにイチゴがあったけど…。とレジの人に聞いてみようかと思ったけど、それってすごいおせっかいだし、間違っていたら偏見もってるみたいだし…と悶々としているうちに、何も言い出せずに清算を終えた。その後、寝るまで悶々。

そして今日。今度は商品棚の間で中国人の男女3人が棚の商品を手に取ったりして、何やら姦しくおしゃべりをしていた。
そのうちに男性一人が、缶入りの飲み物をその場でゴクゴクと飲みだした。子どもにだってやらせない行為。持ち込んだものか?
すると、今度は女性がバッグの中に手を入れて、ゴソゴソしていたと思ったらスマホを取り出した。挙動不審。
そんなふうにレジに並ぶでもなく、そこにい続けるのは、いかにも怪しい。でも、これも偏見の目?

千駄木のスーパーでもフランス人風のスマートな男性が目の前で果物を万引きしていたし、どこでもあり得ることだけど(もちろん日本人だって)、なんかすさんだ気持ちになるのが嫌だ。
すさんだ気持ちでいるから、そんなふうに考えるのかもしれないけれど。




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引っ越しはいつ完了するのか [日々の出来事うっぷんばなし]

新しい住まいに引っ越して、10日が過ぎた。11日か。
しばらくは天井まで積みあがった段ボールの山の中で茫然としていたが、すこしずつ荷解きをしているうちに、段ボールの山が段ボールの丘程度になり、平地も見えてきた。
それでも、まだ人の住んでいる場所という感じはしない。

引っ越そうと思った理由の一つが、2LDKの1間が納戸と化してしまい、寝室とキッチンとで生活しているような具合になってしまったということがあった。
定年退職したため職場の荷物が運び込まれ、さらに実家を整理した残りの荷物が運び込まれたせいだ。
その結果、食卓が仕事場になっていたのだ。

ところが、新居では書斎となるはずの部屋に今や段ボールが積み重なっており、仕事場とはほど遠い有様。段ボールの山に隠れるような状態で、このブログを書いている。

だが、物は時間と手間を掛けさえすれば、少しずつでも整理されていく(はずだ)。
ところが、問題はインターネットの接続の問題。
これまでケーブルテレビで固定電話もインターネットも一括契約していたのだが、
新しいマンションはケーブルテレビはテレビだけしかつなげないという。
そこで、固定電話とインターネットを新たに契約することになったのだが、
スマホがauなので、固定電話もネットもauで契約することにした。

ネットでその手続きをしていこうとしたのだが、プロバイダーをどこにするかという問題に突き当たった。auなどの会社(なんて言うのだ?)とプロバイダーとの関係がいまいちよく分からない。
ネット画面でポチポチやっていくうちに、なぜかso-netと契約することになった。
だが、これまではbiglobeの会員となっていて、メールアドレスもこのブログも、オフィスのホームページもbiglobeのメールアドレスで契約していたから、
これを解約することになると、たいへんなことになる。

そこで、その作業はいったん止めて、引っ越しホテル住まいに突入。
その後、ようやく入居できた日にNTTの人が固定電話とネット回線の接続工事にやってきた。

なぜにNTT?
私はNTTと契約した覚えはないぞ。

だが、auと契約しても工事はNTTが請け負うのだそうだ。
そんなものなのか。

その後、So-netとの契約手続きを続けたところ、数日後に登録証が送られてきた。
一方、混乱の中、荷物を整理していたら、もう1通、So-netの登録証がでてきた。
な、な、な、なんだ!?

引っ越し前のどさくさの最中に送られてきていたのだ。
IDは同じで、パスワードが違う。

そこで、お客様サポートに電話したが、つながらない。
簡単だというホームページでのチャット相談を試してみたが、返事がない。
何度も電話してようやくつながったと思ったら、後から送られてきた登録証の契約は、so-netではなく、NTTとの契約だという。でもSo-net登録証なのに?

しかも、ようやくつながった先は、技術部門のサポートなので契約については別の部門につなぐという。でも、そこで電話サポートの予約を取れと言われて終わり。

そして今、サポートの人とようやく電話でつながって、後の契約を解除する手順を教わった。
教わっただけで、そこで済むわけではないのだ。なんとか自力でやった。

いっぽう、So-netメールの接続がたびたび切れて、そのたびにパスワードを入れなくてはならないという現象がしばしば起こるようになっていたので、そのことについても同じ電話口で相談した。
しかし、この電話は契約関係の相談窓口で、接続の問題は工事関係の窓口でないとわからないという。
それで、またまたそちらにつなげられた。

結論。
これは接続の問題ではない。PCの機械的な問題のようだから、PCの製造元に問い合わせるように。

あああああ・・・・・・

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Zoom Fatigue [日々の出来事うっぷんばなし]

Web マガジンのPsychiatric Timesに”Zoom Fatigue(ズーム疲れ)”という論文が載っていた。
今では、私の生活にもZoomはなくてはならないツールとなっている。
今、大学からお給料をもらえているのも、Zoomがあったからこそである。

ただ、夏休み期間となり、会議は減って、講義や実習もなくなったので、
毎日、Zoomではなくなったが、面接やグループなどもZoomでやるようになって、
そのメリットとデメリットを見きわめる必要を感じている。

というわけで、興味を持ったこの論文をざっと訳してみた。

MRIを用いた研究では、録画を見るのに比べると、直接対面してのやりとりのほうが、脳の報酬rewardにかかわる領域が活発に活動することが明らかになっている。
この報酬というのは、言葉や感情のやりとり(give & take)が相互的に行われていることを意味する。
これが高まると、モチベーションや関心が高まり、ますます相互作用が活発に行われるようになる。

Zoomでは、やりとりに微妙なずれが生じる。それが、この報酬の度合いを低めるというのだ。
打てば響く会話は楽しいし、ますます弾む。ところが、ほんのわずかでも反応に遅れが生じると、しらけてしまい、疲れるというのだ。

さらに、アイコンタクトの問題もある。
アイコンタクトは、つながりを強め、反応を速め、顔の記憶を高め、好ましい、魅力的という印象を高める。
しかし、カメラを見つめれば、画面の相手の顔が見えず、相手の顔を見ているとカメラに視線をあわせることができず、他の観客はどこか別のところを見ているように見える。大人数の会議ともなれば、なおさら視線を合わせることは不可能だ。
そもそもコミュニケーションというのは、実際のところ無意識的非言語的な要素が大きい。
触れ合い、共同注視、姿勢といったものが瞬時に解釈されていく。これによって相手を理解するだけでなく、その場で即座に反応を返すことで、相互のコミュニケーションが成立するのだ。

ビデオを通してでは、そうした表情の微妙なサインや体全体が表現しているものを読み取ることが難しい。
それぞれ相手が今いる環境がどんなものかがわからないので、何に注目しているのか、何を聞いているのか、本当のことはわからないのだ。

こうした、相手やお互いのつながりを確かめあうための手立てがないために、それを補うために認知的感情的努力が必要になる。疲れるのは、よけいに気を遣わなければならないからなのだ。

他の人の動きに気を取られたりしながら、話をしたり、PCを操作したり、資料を出したり、といった多重課題をこなさなければならないのも疲れる。
しかも、自宅であれば、家族やペット(の立てる物音など)が侵入してきたりする。プライヴァシーがときに侵害されてしまうのだ。
自分の顔を見なければならないというストレスもある。
はっきり言って、ビデオ会議というものは、ハイコスト・ローリターンなのである。

しかも、身体を動かすことで疲労の40%は解消できるのだが、座りっぱなしというだけで疲れるのである。(座っている時間は職場と変わらないかもしれないが、自宅だと会議室まで歩くといった動きがなくなる)
また、Covid-19による失業の恐怖や学校閉鎖、人種差別、身体的ディスタンシングによる孤立などの問題も、人の心を不安にさせている。


この論文では、このような疲労の原因があげられているのだが、これに加えて、接続の問題も大きいと思う。
実際、私のPCは室内無線LANを使っていて、最近、ときどき接続が切れてしまうのだ。
そのたびに、電源を切って再接続をはかったり、壊れてしまったらどうしようという不安と戦っている。
これが使えなくなると、それこそお手上げだから。

しかも、Zoomの最中に音声や画像が途切れたり、コマ送りのようになると、
それが相手の不具合なのか、自分の不具合なのかがわからないまま、
相手が話し続けていたり、自分が話し続けたりしていると、実は聞き取れていない、ということがよく起こる。
少人数であれば、もう一度言ってとリクエストすることができるが、
ビデオ会議などではかなり難しい。

そういう意味では、疲れるのも無理はないと思える。
やはり対面での集まりより、時間は短くすべきなのかもしれない。




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ウィルスは人間を変える [日々の出来事うっぷんばなし]

大学の新学期が始まった(はずだった)。
でも、Covid-19の拡散は続いている。
外出自粛を求められている緊急事態宣言の期限は、連休明けの5月6日までだが、
その後の予想がつかない中で、教員たちは再開後の授業の準備に掛からなければならないのだが、東京では多くの大学で、学生たちがキャンパスで授業を受けるのは無理だろうと考えている。
前期はずっとオンライン授業だと決めた大学もある。

そこまではいかないまでも、1〜2ヶ月はありうることだというのが大方の考え。
そこで、ものすごい急ピッチでweb授業の準備が進んでいる。
同時に、大学の会議や委員会などもwebだ。
学会の理事会や委員会といった活動もwebである。

今、もっぱら私の周辺で使われているのはZoomのビデオミーティングシステムだ。
ZoomはZoomBombとも呼ばれるハッカー攻撃を受けたりして、セキュリティに問題があるというので、他のシステムにしたところもあるが、ZoomはZoomで、時々刻々と修正を加えている。
なので、ネットで使用法を検索しても、いくつもの方法がネットに載っていて、見つけてもすでに古くなっていたりする。
それはそれで感心する。
セキュリティーを高める方法を見て、いざやってみようと思うと、それがすでにデフォルトに設定されていたりするのだ。
そもそも ”デフォルト” なんて言葉をスラスラ言えるようになったのも、最近のことだ。
「間違い」とかそんな意味ではないかと思っていたのだが、それが「初期設定」と言う意味だなんておそわってないよ〜。

「サインイン」と「サインアップ」が何を意味するのかも、最近知った。
「サインイン」は「ログイン」と同じような意味と思っていいわけね。
「サインアップ」は「アカウントを作る」。なんでそう言わないのだろう。

それに「ウェビナー」。
なんだそりゃと思っていたら、どうやら web とseminar の合成語のようだ。
つまり、オンラインセミナーとか、オンライン講習会のようなものらしい。
まだ、参加したことはないが。

そうこうするうちに、集団精神療法の事例検討を多職種のグループで行う毎月のセミナーも、Zoomを使って行うと言ってきた。
メンバーは最低でも40人くらいいると思うのだが、そのくらいの数はぜんぜん可能なのだ。

私がやっている体験グループのうちの1つも、Zoomを使ってやることにした。
その練習のための、お試しセッションもすでに1回行った。
9人のうち、1人はwebミーティングなるものに慣れていないからと不参加。
本当は全員参加できるやり方を探したいのだが…。ジレンマである。

アメリカでは国土が広いので、カウンセリングや精神療法も遠隔相談という形でやられているということは以前から聞いていて、最近ではぼつぼつそれに関する論文も出ているのに気づいていた。
まさかグループまでそれでやれるとは、想像もしていなかったし、自分は絶対いやだと思っていた。
だが、IT技術の発展がそれを可能にした。

でもやはり、グループにはその場の空気というものがあるし、直接話しているからこそ、感情を身体的な波動として感じたりもする。
それが画面を通して伝わるとも思えない。
やる人は、グループのなんたるかがわかっていないのではないか、とさえ思っていたものだ。

だが、背に腹は変えられない。
直接、声を聞き、顔を見て、話ができるだけでも、ありがたいのだから。

ああ、そういうことを私が言う日がくるとは…。
ウィルスは人を変えるのね。

実は人体には、大昔にご先祖様が感染したウィルスの一部が細胞の中に取り込まれているのだと聞いたことがある。
ウィルスは人を変えてきたのだ。

大学でも、研修でZoom講義の実際を体験した教員から、「通常授業が再開したのちもZoom授業を続けてもいいか」という質問が出た。
私自身、チラッとそういう考えが頭をよぎったのは事実だ。
そうなると、確かに学生は大学に来なくてもすみ、交通費もかからない。
授業には出ているものの、寝ていたり、おしゃべりしていたり、スマホをいじっていたりする学生たちを見ていると、なんで出てくるのだろうと思っていたから。

でも、それこそ大学の空気とか、クラスメートとの交流とか、何かあるんじゃないのかな。
授業だけではない、大学というものの意味が。
大学粉砕を叫んでいた私が言うのもなんなのだけれど。
あの頃は、大学粉砕を叫びながら、自主講義や勉強会などを学生たちが企画してやっていた。
私自身、今の自分の財産となっているのは、その頃学んだことが土台となっている。

そんなこんなで、この間、自分の考えが180度変わり、しかもそれに乗り遅れまいと必死になっている。
これって変なのか?大丈夫なのか?

この動きがどんなふうに人間を変え、人間関係や社会のシステムにどんな影響を及ぼしていくのかをしっかり見届けなければいけないと思う。

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私にとっての魔の季節 [日々の出来事うっぷんばなし]

今年もあと4日とちょっと。
英国の友人からクリスマスカードをもらったのに、返事もしていない。

12月から1月にかけては、わたしにとっては魔の季節。
眩暈で入院したり、足首を骨折したり、昨年は突然の呼吸困難に襲われた。
寒くなるととたんに、生体機能が落ちてしまう感じ。
眠気にも襲われ、からだはすっかり冬眠モードだ。

で、今年の災厄は、なんと「鼻出血」だった。

子供時代もほとんど鼻血を出したという記憶はないのだが、
12月上旬の朝、洗面中になんの前触れもなく、たら〜りと真っ赤な鮮血がボウルに流れ落ちた。
一瞬、鼻血だと気づくのに間があった。
すぐにティッシュを詰めて、眉根(鼻の付け根?)を押さえた。
以前、鼻血のときにはそうやって迷走神経を刺激するといいと聞いたことがあったから。

朝食後に血圧を測った時には120台だったので、血圧のせいではなさそうとおもったが、
一応もう一度測ってみた。
なんと上が150近くあった。
でも、その時はティッシュを詰め、圧迫しているとまもなく出血も止まり、安静していたら血圧も下がった。
かかりつけの内科クリニックに行くと、次に鼻血が出るようだったら耳鼻咽喉科に行くようにいわれた。

それから1週間。またしても朝の洗面中に出血。
指示通り耳鼻咽喉科に行き、鼻腔の出口あたりの粘膜が爛れていて、そこから出血しているとのことで内服薬が出た。ティッシュではなく、脱脂綿を詰めるように言われた。

それから1週間。
今度は深夜1時ごろに入浴していたら、鮮血が洗面器の中に飛び散り、中の湯が真っ赤に染まった。
これまでよりは出血量が多く、反対側からも血がダラダラと流れ出して来た。
両方の鼻から血がダラダラ…。ホラーだった。
風呂場から出て、血圧を測ると何と上が202 !
流石に不安になった。
耳鼻咽喉科で言われた通り脱脂綿を詰め、保冷剤で冷やしたが、出血は止まらなかった。
綿がすぐに真っ赤になり、取り出そうとすると、コアグラ状の血の塊が何度もズルズルと引けた。

このまま、出血多量で死ぬか?
去年の深夜の呼吸困難に続いて、最悪の事態が頭をよぎり、歩いて近くの大学病院の救急外来に行くか?救急車を呼ぶか?などとグルグル考えながら、ソファに寄りかかっているうちに寝てしまい、気づいたら朝だった。
血圧は160に落ちていた。

でも、これは尋常ではないと思ったので、朝一番でかかりつけ医で紹介状を書いてもらい、大学病院の耳鼻咽喉科を受診した。

大学病院は改築されてすっかり綺麗になっていて、さほど待たされることもなく、診察してもらえた。
鼻血が止まらなかったと予診票に書いたので、看護師さんたちは「フラフラしたり、気分が悪いようだったりしたら順番を先にしますよ」と言ってくれた。
いやいやそこまでは・・・。

でも、医師は一通り鼻腔内をみるなり、大きなダミ声で「これは、ふつうの鼻血ですよ」と言った。
モニターで丸い出血部位も見せてくれ、「鼻血の大半は、高血圧のせいです」と言った。
圧迫しても40分以上も出血が止まらなかったんですと話すと、
「どんなふうに圧迫した?」というので、やって見せたら、
これまた大きな声で「そんなふうな押さえ方ではいくらやっても止まらないよ」「1時間押さえていても止まらない」と馬鹿にしたように言い(そう聞こえた)、「鼻血はううつむいたまま小鼻のところを押さえる」とやってみせた。
そして、「これは悪いものではないので、大学病院で診ることもないから、耳鼻咽喉科のクリニックで引き続きみてもらうように」と言った。
今、ようやく止まったところなので、応急処置のようなことでもやってもらえないかと食い下がると、薬を塗ってくれた。
でも、この程度のものは大学病院ではみないのだと繰り返し言われた。
大学病院で診ないということに罪悪感でもあるのか。

で、帰ってきて、偶然、日経メディカルでこんな記事を見つけた。
お気に入りの薬師寺 泰匡(岸和田徳洲会病院救命救急センター)先生のシリーズなのだけど。
テーマもズバリ:「『鼻血が止まらない』で救急搬送はアリ!?」(2018/05/31)

で、出だしからこんな調子だ。

鼻出血が止まらないということで救急要請される患者さんは結構います。この間も、一晩で2人来ました。「止まらない」と言う人の多くは、止血操作をなんらしていません。出てきた鼻血をただティッシュでぬぐいながら、勝手に止まるのを待っていたのだけれど、止まらなくて不安になって救急要請というパターンが非常に多いです。また、圧迫せずにティッシュだけ鼻に入れて、ドレナージのようなことを行なっている人もたまに見かけます。

 これを読んでいる方は医療関係者ばかりでしょうから、鼻血の90%程度は鼻腔の入り口付近の鼻中隔にあるキーゼルバッハ部位からの出血であるということ、そこを圧迫すれば鼻出血はコントロール可能であるということは常識的にご存じだと思います。ただ一般にはあまり浸透していない模様です。こうした方々は救急隊から適切な止血方法を伝授され、搬送時には出血が止まっていることがほとんどです。

そうですよ。圧迫はしましたけれど、ティッシュや綿がドレナージのようになっていましたよ。
それに精神科が専門なので、こうした「常識」は持ち合わせません。

鼻血って他の症状に比べると、なんだか笑いものにされる傾向があるのはなぜだろう。
本人は心底不安に思っていても。

ま、今シーズン、この程度の騒ぎで終わればいいのだけど。

ところで、2週間に一度、お掃除のために通い始めた歯医者さんは、なんと大みそかまで診療しているそうです。
私も歯の大掃除に行きます。
これぞ歯の大祓い。



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クレージーな日々 [日々の出来事うっぷんばなし]

前回も「激動の1週間」というタイトルだったが、その後も激動の1週間になってしまった。
もはや何日に何があったか思い出せないくらい。
12−13日に名古屋へ行き、そのあと岐阜の土呂温泉に行くことになっていた。
ところが台風19号の襲来で、名古屋の仕事自体がキャンセルとなり、台風の被害状況を時々刻々と伝えるテレビをずっと見ていた。
それだけですっかり疲れてしまい、以来、なんだか元気が出ない。

唯一ラグビーだけが元気の素だったのだが、南アフリカ戦は冒頭だけ見ていたものの、あとは怖くて見ていられず(いつものことだが)、結果が分かってからビデオで見るつもりで録画しておいた。
でも、負けたとわかってからは、せっかく録画したビデオも見る気が起きず、
テレビのニュースでも敗戦はあまり報道されなかったので、果たしてどんな試合だったのかわからないままだ。
いつか観てみようとは思っているが。

そんなときに即位の礼とやらがあって、テレビでも中継していたが、それも観る気になれなかった。
日本の歴史やら文化やらを褒め称える報道にうんざりだし、多額の国費をつかって国民主権もあったもんじゃない。
浮かれている場合じゃないだろう。
毎日毎日、台風被害の情報が流れているのに。
これからだって被害は続くと思われるのに。

この、片方で極端なお祭り騒ぎがあり、片方でこれまた非常に悲惨な出来事が起きているという状況は、
クレージーとしか言いようがなくて、人間の心と身体に処理しきれないストレスになるような気がする。

ケーブルテレビで新しく始まった海外のミステリも、安楽死を請け負う救急医(女医)だとか、
なんだか救いがないものだらけ。
それで新たに日本映画チャンネルを登録してみることにしたら、
樹木希林の映画を続けてやっていて、『あん』はまだよかったのだが、
『モリのいる場所』などは、なんだか途中で観るのをやめてしまった。
『日々是好日』もだめだった。
心に余裕があるときなら、よかったのかもしれないが、メリハリのないというか、盛り上がりに欠けたストーリーに付き合っていると、どんどん気分が悪くなるのだ。
うつの焦りのようなものが滲み出てくる感じかな。

おまけに台風が過ぎたら、突然秋がやってきて、日の落ちるのが早くなるし、
道端には落ち葉が風に吹かれて巻き上げられているのを見ると、
秋から一気に冬になってしまいそうな感じである。
冬は苦手〜
たいてい体調をくずすのは冬。
どんどん話が暗くなるね。ここらでやめておこう。
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この歳で予防接種 [日々の出来事うっぷんばなし]

この歳で予防接種とタイトルに書いたが、65歳以上に呼びかけられている肺炎の予防接種もあるから、この言い方は変かも。
でも、大人になってからの予防接種は、かつてエジプトに行くときにいろいろと感染症の予防接種をして以来(と思う)。

なにしろ、卒論のテーマは「予防接種事故の実態調査」だったのだ。
それで、予防接種のこわい副作用をいろいろ知り、インフルエンザについては予防接種の予防効果はマクロに見ると「ない」という結論に達して以来、インフルエンザの予防接種もしたことはない。
幸い、インフルエンザにかからずに来た。

で、今年、職場の健診でB型肝炎の抗体検査をやって陰性という結果が出た。
すると即座に予防接種をするようにと日にちまで指定されてしまった。
今後、病院で実習指導することもないから感染の危険性もないし、高齢者になって予防接種なんてしたらかえって副作用がひどいんじゃないの?
いろいろ断る口実を考えてモンモンとしていた。

いよいよ翌日となって、仕方がない、行って注射される前に事情を話して、接種する必要が本当にあるのかを聞いてみようと思って寝た。
たが、朝になって、ネットで「高齢者、B型肝炎ワクチン、予防接種」で検索してみることにした。
ところが、何もヒットしなかった。やっぱり対象は子供だわよね。

だが、こんな記載を1つだけ見つけた。

高齢者もデイサービスなどで感染する危険性がある。

そうか、そうなのか…。
まだ体力のあるうちに免疫をつけておいたほうが良いのかも。

というわけで、ギリギリになって出かけることにした。
クリニックの場所は高田馬場。
渡された地図は、例によって簡略化されたイラストのようなもの。
行けども行けども見つからない。

仕方なく、スマホの地図案内に頼る。
でも、いまだかつてスマホのナビゲーションが役立ったことはない。
今回もまた。
だいたい現在地がずれているし。
またまた仕方なく、クリニックに電話してたどり着いた。
でも、注射の前に診察してくれた女医さんは、私があらかじめ書き込んだ予診票を見て、風邪をひいていないかを聞いた以外、副作用のことも何も説明してくれなかった。
予診票のおわりに、「私は予防接種のことについて十分な説明を受け、納得しました」という文章が印刷してあり、そこにサインをさせられていたのだが。
これで副作用事故があっても、十分説明して納得して受けたということになるんだろうか。

それにしても何十年ぶりかの高田馬場は、やっぱり学生の街だった。
元気そうな若者がいっぱい歩いていて、食べ物やがたくさんあった。しかもガッツリ系の肉や中華やイタリアンなどで、店内も広い。
谷根千のチマチマしたお店とはだいぶ違う。
高田馬場松竹という映画館もあって、往年の名作映画と最近の話題作が上映されていた。
2本立てってなつかしい。近くの学生さんがうらやましい。

すっかり浦島太郎になった気分で、この栄養たっぷりの学生たちが立ち上がれば、もっと日本もなんとかならないかなどと考えてしまった。


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やっとの夏休みなのに・・・ [日々の出来事うっぷんばなし]

この8月。なんだかんだと疲れる夏だった。(過去形にするのはまだ早いけど)

なんといっても、激暑というか、酷暑というか、とんでもない暑さが
疲れの要因の第一。
その中で、予定外の依頼原稿が入ったり、結構遠方まで講義を頼まれて出かけたり
休めない日々が続いた。

8月の初めに、暑さのせいか、20年以上使っていたエアコンから黒い煙が出て、使い物にならなくなった。
従弟の電機店に頼んだものの、お盆休みの季節とあって、取り付けは22日まで待たなくてはならなかった。
でも、その間2,3日は涼しい日があって助かったのだけれど。

それでも新しいエアコンが来て、これでホッとしたのもつかの間、
よく見ると、新しいエアコンの上部の天井が黒くなっている。
古いエアコン以上の黒ずみの広がり…。

すぐに従弟に連絡して、業者に来てもらうことにしたが、
2日から5日まで、奄美大島にシュノーケリングツアーに行く予定にしているために
その後になった。

そうこうしていたら、台風21号とちょうどぶつかることが分かった。
せっかくの夏休み、しかも何年振りかのシュノーケリングだっていうのに…。
位置的には進路を若干逸れる感じだが、それでも海は大荒れだろう…。

これは運気はそうとう悪そう。

ブログの更新も遅れがちなので、行く前にアップしておこうと
今年の本屋大賞ノミネート作品で、第39回野間文芸新人賞受賞作と帯に書いてある本を読んだ。
今村夏子著『星の子』(朝日新聞出版)

主人公は林ちひろ、中学3年生。
生まれたときから病弱で、両親はあやしい宗教にのめり込んでいく。

父の会社の人から勧められた水を、万病に効く奇跡の水と信じ込んで、その水に浸した白いタオルを頭の上に載せている。ちひろもそれに従う。
宗教の研修会に参加することで、学校とは違う世界に救われることもある。

唯一、それを信じようとしないのは、ちひろの姉のまーちゃんだけ。
おじさんが心配してきてくれたけど、両親は気にも留めない。
やがてまーちゃんが家出する。

こういう一家の物語に、ちひろの学校の友人やら教師やらとの関係が・・・。
何か起こりそうで起こらない。

出版社の新人賞は売るためだろうから、そうかと思うしかないが、
これで本屋大賞?
よほど新作日照りの夏だったのか?

それにしても、ヤングアダルトの作品からデビューする若手作家が多いせいかもしれないけれど、子どもが主人公の物語がやたら多いと思う。
それ自体が悪いとは思わないけれど、もっと大人の小説が読みたい。
この本で今年の夏が終わってしまったと思うと、なんだか時間を無駄にしたみたい。


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都会の盲点・・・ちょっと怖い話。 [日々の出来事うっぷんばなし]

巣鴨駅のアトレヴィ―のトイレを使ったとき、お気に入りの晴雨兼用の長日傘を忘れて来てしまった。
駅ビルを出たときにすぐに気づいて戻ったのだけど、ときは遅く、もうなかった。
誰かがもっていってしまったのか。
それとも、ビルのスタッフに届けてくれていないだろうか…。

誰かビルのスタッフにでも聞いてみようと思ったのだが、
こういう複合型の駅ビルって、食べ物屋さんやマッサージのお店などが入っているけれど、どこもトイレを管理しているわけではないから、聞いても仕方がなさそう。

探すとStaff Onlyと書いてあるドアがあったので、そこで聞いてみようと思ったところが、鍵が閉まっていて、どうやらスタッフはドアについたテンキーで暗証番号を打って入るらしい。
そこで、ドアをどんどんと叩いてみたけれど、誰も出てこない。

仕方なく帰ることにしたが、お気に入りの日傘なのであきらめきれず(この夏、日傘は必需品ですからね)、携帯でアトレヴィ―巣鴨を検索して、電話番号がわかったので電話した。

ところが、出てきた人はアトレの会社の人か何からしく、別の電話番号を教えるからそこにかけてくれという。
道端で携帯をかけながら電話番号を言われても、荷物を持っているから書き留めるなんてできないのに…。
荷物を下ろしてやっとこさ書き留めた番号に電話して見ると、今度は呼び出し音はなっているのに誰も出ない。
しばらく待っていると、留守番電話に切り替わり、「ただ今、そばにおりません。申し訳ありませんが、しばらくしてかけ直してください」ですと。
この番号を教えてくれた人の言い方からすると、ここはどうやらアトレの落し物が届くところらしいのだが、巣鴨だけではないような…。

しかたなく、諦めることにした。
それにしても、たくさんのお店が入った駅ビルの管理ってどうなっているのだろう。
駅構内なら駅長室にでも行けばいいのかもしれないけど、改札外だし…。

どの階にも管理人室のような部屋も見当たらなかったし、
万一何かあったときには、どうするのだろう。
火災とか地震とか、急病人とか、暴力沙汰とか…。
お店の中ならお店の人が対応してくれるかもしれないけれど、
それこそお店の外のトイレとかエレベータやエスカレータなどで、何かあったとき、どうなってしまうのだろうか。店から出て来てくれるのか。
そもそも気づきもしないのではないだろうか。

私がドアをどんどん叩いていても、通りかかった人もまったく無関心だったし。
都会の盲点のようなところが、こんなところにあったなんて…。
よく利用しているところだけに、ちょっと怖くなった。

でも、あの日傘、とっても気に入ってたのになぁ…。
もっていった人はラッキーと思っているだろうな。
こんなカンカン照りの毎日なんだもの。
晴雨兼用だから、午後から雨なんてときには、もってこいだったのに。

これまで結構電車の中とか、空港の搭乗口とかで忘れ物をしたりしても、たいてい見つかってたんだけどなぁ…。
お財布も何もかも入ったハンドバッグを座席に忘れて、
終点の駅まで取りに行ったこともあった。
後でほんとにぞっとした!

そういえば、ナイアガラの滝で写真を撮るのに夢中になって、足元にバッグを置いていたことを忘れて移動してしまい、後であわてて取りに走ったこともあったっけ。
その時も見つかって、奇跡だと我ながら思った。

道端に万札の入った封筒を落として、警察署から電話がかかってきたこともあったな。
中に領収書が入っていたので、持ち主が分かったのだった。

こう数え上げて見ると、つくづくうっかり者だと自分でも思う。なんでだろう。



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変な日本語 [日々の出来事うっぷんばなし]

このところ、変な日本語にとまどっている。
単に、新しい日本語というべきなのか…。

それは「落とし込む」という動詞。
たとえば、「理論を実践に落とし込む」。
どういうこと?
理論を実践に移しかえる?
理論と実践を統合する?

そのことを考えてたら、他の論文で「患者に説明を落とし込む」なんて表現にぶつかった。
なんじゃこりゃ。

「指示が入っていかない」という表現は、以前から話し言葉ではあった。
教員が学生に対して「指導が入っていかない」などという。
「指示(指導)を理解しない」そして「指示(指導)した通りに動かない」という意味。
それでもこの表現には、指示を出しても相手が一向に変化しないので、堅い壁にぶつかったように感じるニュアンスが少しは感じられる。のれんに腕押しのような。

でも、「落とし込む」って片方が上だよね。
理論が実践より上にあるわけ?
スタッフが上で、患者が下?

言語感覚って、どうやって身につけるんだろう。
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