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新しい年に新しい小説を [本のはなし]

新しい年があけました。
長い年末年始の休みのうちに原稿をしあげようと思いつつ、
ついだらだらと過ごすうちに、もはや半分以上が過ぎてしまった。
でも、だらだらがよかったのか、寒い外に出歩くことがなかったのがよかったのか、
一時、200を超えて鼻血さわぎにまでなった血圧が、なんと昨日は上が90、下が60に。
なんでそんなに上下するのか。
多少は緊張感がないといけないのかも。

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このところ、ブログの更新も途切れがちで、おすすめブックの紹介もご無沙汰だった。
電磁書籍で読んだ本は、なんとなく文章にしにくくて。なぜだろう。
読んだら終わりって感じ。後に残らない。本としての実体が感じられないせいかな。

それで今日は、しばらく前に紙の本で読み終わっていたチョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)の紹介。

ー「ジヨン」と打ち込んだら、「知英」と変換されたから、漢字で書くと「金知英」さんなのかも。この方が頭に入りやすいが。

韓国で100万突破!映画化決定と帯に踊るこの本は、日本でもさまざまな媒体で紹介され、すでに13部を突破しているらしい。
韓国では、社会現象にまで発展しているというが、日本ではそれほどでもない?

事前にいろいろな書評を読んだのだが、いまいちこの本の何がそうセンセーショナルな反応を引き起こしたのか、読む前はわからなかった。
MeToo!運動に通底するような、歴史的にも抑圧され続けてきた韓国女性たちの叫び?

かつて同じ職場にいた韓国籍の准看護師さんが日本人の同僚と恋仲になり、結婚するのしないのという話になったのだが、韓国人である娘が日本人男性と結婚するのを親たちが激しく反対し、結局別れてしまったことがあった。
その彼女から、韓国では儒教的な道徳観が根強く、長幼の序を重んじることや男尊女卑の考え方が日本よりもずっと強いという話を聞いていた。結婚を反対されたのもそのせいだと。

それを思い出していると、買ったはいいが、なかなか手に取って読もうという気にはならなかった。
でも、読んでみると、少し印象がちがった。
この本には、たしかにそういった内容が書かれている。
だが、それ以上に小説としての構成が、ただの告発の書ではないことを示しているのだ。

最初の章は、2015年秋から話が始まる。
33歳の主人公キム・ジヨン氏(人名にはみんな、男女の別なく「氏」が付けられている!)は3年前に結婚し、昨年女の子を出産して退職、今は大規模団地のマンションで一人で子育てを担当している。
と、一通りの紹介が終わると、驚くのは次の文章である。

 「キム・ジヨン氏に初めて異常な症状が見られたのは9月8日のことである。」

   !?

キム・ジヨン氏は夫の母にそっくりな話し方をしはじめたのだ。
夜、夫が帰宅すると、赤ん坊と一緒に同じように親指をしゃぶりながら寝ていた。
何日か経つと、今度は自分は去年死んだサークルの先輩だと言い出した。
それからも、まるで多重人格になってしまったかのような出来事が相次いだのである。

驚くべき展開である。

日本のお盆にあたる秋夕には、ジヨン氏は遠方の夫の実家におもむき、連日、姑と一緒に秋夕料理に精を出した。
こうした行事の際には、本家である夫の実家に親戚中が集まり、嫁はみんなを歓待しなければならない。それは、日本も同じだろう(今では、そんな大家族は姿を消しつつあるが)。
そんな中、ジヨン氏が自身の母親のような口調で、夫や夫の実家のジヨン氏への扱いに対する不満を話し始めたのである。

あわてて夫はジヨン氏と赤ん坊を連れ帰った。そして、一人で精神科を訪れたのである。
ジヨン氏は育児うつではないかと自分でも思っていたということで、カウンセリングを受けることになった。
ここで、この章の語り手がジヨン氏の主治医となった精神科医であることが明かされるのだ。

これ以降の章は、1982年のジヨン氏の誕生からの人生が、年代記ふうに語られていく。
最初は、ジヨン氏の出生場所、出生時の身長と体重、家族関係、住居の状況などがくわしく記されている。
つまり、これは主治医が聞きとった彼女の生育史なのだが、そこにジヨン氏の両親の暮らしにまで遡りながら、韓国の人々の生き方が時代の変遷とともにリアルに語られていくのだ。まるでドキュメンタリー小説のようである。

彼女の両親が生まれ育った時代はおそらく朝鮮戦争後まもなくで、人々は貧しく、病気も蔓延し生き残るのに必死だった。
彼女が子どもだった頃には、ご飯は父、弟、祖母の順に配膳され、ちゃんとしたおかずは弟の口に入り、姉とジヨン氏には形の崩れたものが与えられた。
成人して社会人となり、やがて結婚して子どもが生まれてくると、女であることにまつわる社会との軋轢や矛盾がみえてくるのだ。それは、ささいな日常にも現れてくる。

面白いのは、そうしたジヨン氏一家の暮らしぶりが語られる途中で、当時の社会事情を客観的に示すデータが示されるのだ。ますますドキュメンタリーである。まるでノンフィクション、あるいは、社会学の論文か?
(巻末には、原注として多くの参考資料が記載されている)

実際、著者のチョ・ナムジュ氏は梨花女子大学社会学科を卒業後、放送作家として社会派番組で時事・教養プログラムを10年間担当したというから、その経験とノウハウがこの小説に生かされているのだろう。

この本では、キム・ジヨン氏(とその家族)の人生を通して韓国という国の歴史が、ジヨン氏という一人の女性の初潮、妊娠、出産、育児などに伴う生理や自分らしく生きたいという願いと並んで描かれていく。この絡み具合もなかなか。
その中で、韓国では民法が改正されて戸主制度の廃止が決まったというような、驚くべき事実を知った。戸籍制度があるのは世界では日本だけ!

その一方で、ジヨン氏の病気が気になる私には、あれれ、どうなったのだろう…という思いが。

でも、2012~2015年の章の最後に、「キム・ジヨン氏はときどき別人になった」とあり、続く2016年の章は、主治医の診療記録にもどる。
そして、キム・ジヨン氏は解離性障害でもなんでもなく、「自分がまるで知らなかった世界が存在するという意味である」と医師は記す。そして、主治医自身の妻との体験を語りはじめるのだ。

このように、社会的な主張をこめながら、小説としてのたくらみもまた独創的な、面白い本であった。この手があったか、という感じ。



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最近の英国事情 [本のはなし]

医学書院のシリーズ「ケアをひらく」が今年度の毎日出版文化賞を受賞するという知らせが、編集者の白石正明さんからあり、シリーズの著者は祝賀会に招待されるということで、二つ返事で出席の返事をした。

今年度の受賞者は、文学・芸術部門が『夏物語』の川上未映子さん、
人文・社会部門が『内村鑑三 その聖書読解と危機の時代』の関根清三さん
関根先生は、お父様が無教会主義の信者だった鈴木純一先生が尊敬しておられる方。
で、企画部門(全集、講座、辞典、事典、書評など)が『シリーズ ケアをひらく』だったわけ。

そのほかに、特別賞として『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブル―』のブレイディみかこさんと、『科学者は、なぜ軍事研究に手を染めてはいけないか』の池内了さん。

ブレイディみかこさんは、福岡市生まれで、パンクミュージックに傾倒、英国を転々として、今は英国で保育士の資格を取って、ダンプ運転手の旦那さんと息子さんと3人で暮らしているというお方。
ちょっと私とかするところがあって、彼女の『子どもたちの階級闘争』を買ったはいいが、積読本のままになっていた。
お会いできるならば、本を読んでおかなくちゃと思い、『ぼくは・・・』を電磁書籍で購入して読んだ。
なんでここで電磁書籍なんだ!せっかくの出版文化賞なのに…と言われそうだけど、スマホで読めるので、本当に便利なのだ。ちょっとした時間があれば、少しずつでも読めるし、バッグの中もかさばらないし…。
街の本屋さんにはほんとうに申し訳ないと思いつつ・・・。スンマセン。

で、読んでみた。私とかするところがあると思ったが、かなり違った。
福岡の県立修猷館高校という進学校を卒業したというが、彼女は相当貧しい家庭に育ったという。
日本では(も)進学校に通う子どもはたいがい中流家庭以上の子どもたちだから、彼女はずいぶんと文化的経済的ギャップを感じたようだ。
(そのあたりがパンクミュージックにのめり込み、やがて英国へと放浪していく原動力になったらしい。)
英国でも子どもが、中流以上の子が通うカトリックの小学校から地元の元底辺中学校に進学すると、全く異なる英国がそこにあった。

ただ、日本では貧乏人と金持ちの違いはあっても、人種的には日本人が大多数。在日の人もいるし中国の人が増えてきたといっても、少なくとも外見上はアジア人。
それでも、今年のラグビーの日本代表チームをみると、日本人と外国人(特にアフリカ系の人)との間に生まれた子どもや、外国から来て日本国籍を取った人など、人種はさまざまで、あ~、これからは日本もこうなっていくのかもしれないと思ったものだ。
とくにスポーツでは大坂なおみ選手をはじめ、ケンブリッジ飛鳥選手やサニブラウン選手、お相撲さんは言うに及ばず・・・。どんどん人種的には多様化しているものね。

でも、英国(ほかの欧米の国々にも言えると思うけど)のマルチカルチャーの進み具合は相当なものだ。
しかも、移民として外国からやってきた人たちでも、勝ち組と負け組があって、同じ人種の人の中に階級差ができていく。
同じカトリック校の子どもたちの中でも、できる子とできない子とが歴然とできてきているが、誰もそれを問題として見ようとしない。

しかし、実は底辺校といわれる学校に通うのは白人ばかりで、カトリック校のほうが白人以外の子どもたちが多くいるというのも、驚きだ。
つい先進国の貧困問題=移民問題と思われがちだが、そうでもないらしい。
そして、貧困にあえぐ白人たちが外国人への憎悪をむき出しにする。
おそらくアメリカのトランプ大統領を支持するのが、貧しい白人層だというのと根っこはおなじなのだろう。
そうした社会のひずみの影響を一番受けるのが、子どもたちなのだ。
それでも、子どもたちによい教育をしようという熱意をもつ教師たちがいて、それぞれの考え方で学校を運営できている—困難はあってもーのはうらやましい。

これまで日本人の外国滞在記のようなものをけっこう読んできたが、これほどまで底辺に近い環境で暮らした人の書いたものはなかったように思う。
『子どもたちの階級闘争』も読んでみよう。







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「戦争」というものについて知ること [本のはなし]

前回、台風にもめげず、無事に北九州への旅を終えた話を書いたが、
その台風は、私のもう一つの故郷ともいえる千葉を直撃し、大変な爪痕を残していった。

東京のすぐ隣、首都圏の一部といってもよい地域だというのに、復興の足取りの何と遅いこと。
東日本大震災の時だって、日本の道路の復旧の速さに世界が目を丸くしたものだったのに。
・・・・・・・

さて今日は、久しぶりのおすすめブック。
914ymGM9r5Lリンドグレーン.jpg『リンドグレーンの戦争日記1939-1945』岩波書店刊。
最近出版されたのかと思って購入したのだが、刊行されたのは2年前だった。

リンドグレーンとは、『長くつしたのピッピ』でおなじみのアストリッド・リンドグレーン。
彼女がまだ作家になる前、2人の子どもの母親だった頃に第二次世界大戦がはじまった。
そのときから戦争終結まで、戦争に関する詳細な情報を家庭の主婦の目線で集め、新聞記事なども切り抜いて貼り付け、日々の出来事をまじえて書き付けた日記を、娘らが本に編集し直したものである。

分厚い本なので、読み終わるのに時間がかかるかと思いきや、先へ先へと読みたくなって思ったよりもすぐに読了した。

世界史で習った第二次世界大戦の知識が、いかに表面的な受験のための勉強でしかなかったかがわかった。
なにしろ、軍民あわせて8万5千人もの被害者を出した陰惨な戦闘が、毎日毎日5年も続いたのだ。それを一人の主婦が細かく記録していくなんて、想像もできない。
もちろん最初はそんなに長く続くとは想像だにしていなかったにせよ。

しかも、意外だったのは、戦争が始まってから彼女が政府の諜報活動の一端を担っていたという事実。
海外から送られてくる手紙の検閲をしていたのである。
封書のノリを湯気で剥がして、内容をチェックし、黒塗りすべきところは黒塗りして、糊付けして送るのである。
そうした仕事をしていることは、家族にさえも秘密にしなければならなかった。
けれども、彼女が戦争について詳細に知りえたのも、この仕事のおかげである。
報道されない事実も、手紙には書かれていたからだ。

スウェーデンがスイスと同じく永世中立国であると世界史や地理で習った。
だが、スウェーデン赤十字大学と日本赤十字看護大学の交換学生から、
スウェーデンでは今も、戦時中、スウェーデンが中立といいつつ、ナチスの兵士の鉄道での国内移動を認め、ノルウェーなどに送っていた(ナチスに実質的に戦争協力をしていた)ことが批判されていることを聞いていた。

そのことは、当然ながらこの戦争日記にも記述されている。
だが、リンドグレーンはスウェーデンが生き延びるためには仕方がなかったのだと考えていた。

とにかく、ヨーロッパでは陸続きの国々が戦争しあい、いたるところが戦場になったのである。
しかも、敵はナチスだけではなかった。
当時、ソビエト連邦(彼女はロシアと書いている)が成立して、ボリシェビキの国がナチスよりもはるかに恐ろしいものと見られていたのである。
とくにスウェーデンとソ連の間に挟まれたフィンランドは、ソ連に対して必死の戦いを挑むが、圧倒的なソ連に対抗するには、ドイツを味方につけるしかなかった。
スウェーデンもフィンランドを助けようと、中立国でありながらフィンランドに義勇軍を送ったり、物資を送ったりしていた。
だが、結局ソ連に占領されたフィンランドは、今度はドイツを相手に戦うことになる。

つまり、私が習った世界史では、イギリスやフランス、それに後から加わったアメリカなどの連合国対ドイツ―イタリア―日本の枢軸国の対立という図式で第二次世界大戦が説明されていたが、そんな単純なものではなかったのだ。

こうした敵が味方になり、味方が敵になるような、今日の味方は明日の敵という状況が何年も続くのである。
それはフィンランドだけでなく、ほかのデンマークやノルウェーの北欧諸国やバルト三国、オランダやベルギー、フランスなどの国々も同じ運命だった。
もちろん、ポーランドやルーマニアなどの東欧諸国、ギリシャ、イタリアなどのバルカン諸国は言うに及ばず。

日本も太平洋戦争に負けて、連合軍に占領されたが、敗戦ー他国に占領されるというのがどういうことなのか、リアルにはわかっていないように思う。

占領された国は、敵国に乗っ取られ、直接支配されるわけではないのだ。
まずは、ナチスドイツと戦っていた国が負けると、国内に傀儡政権が誕生する。
つまり、親ナチスの同国人が政権を握って、今度は味方だった国を敵として攻撃し始めるのである。
当然、国内では反ナチスの人間は同国人の手で投獄されたり、殺されたりする。
だが、ソ連の残虐さはナチスの残虐さの比ではないと恐れられていたから、
ソ連に比べれば、ナチスに占領されるほうがましという空気もあったのである。
ドイツからの激しい空襲を受けたイギリスでさえも、反ソ連という立場からドイツと手を組もうという動きがあった。

しかも、当時は(今も)ヨーロッパの国々は王国のところが多い。スウェーデンもそうだ。
それで王位を巡っての骨肉の争いのようなことが、国対国の争いにからんでくる。
父王と皇太子がナチスにつくか連合国につくかで互いに争い、追放合戦をやったりするのである。

で、日本はそんなし烈な争いが国内で展開されるような状況にはならなかったわけだが、
今に続く政府は実は敗戦後の傀儡政府なんだと考えると、なんだか対米追従の姿勢に納得がいくというもの。

そういうわけで、スウェーデンはそうした状況をみて、あえて中立という立場を保ち、裏でナチスに便宜を図りつつ、ナチスに戦いを挑んでいる国に物資を送ったり、義勇軍を送ったりして助けるという高度な政治的外交力を発揮したわけである。

実は、当時ノルウェーやデンマークなどの北欧諸国はみんな中立国だったのに、ナチスに占領されてしまったのだ。
それをスウェーデンだけは生き延び、戦争で飢餓状態に陥った他国とは違い、物資も豊富に出回っていた。
家族の誕生日のたびに親戚や友人が送りあうプレゼントの豊富さといったら、とても戦時中とは思えない。
食事もステーキが出たり、別荘に避暑に行ったり、スキー旅行に行ったり。
もちろん、戦争が長引くにつれ、ドイツにすべての物資が収奪されて、スウェーデンも食料などの配給制が広がっていくのだが。

それにしても、ナチスやソ連の非人道性を非難し、戦う世界中の若い兵士たちをかわいそうというリンドグレーンの同じ口から、敵将の死を喜ぶような言葉がときに発せられるのを読むと、戦争が人間に及ぼす影響の大きさを考えてしまう。

実際、日本国内で戦場となったのは沖縄だけで、国内の国民は兵士が死地をさまよう姿を直接目撃することはなかった。
もちろん各地に空襲があり、広島と長崎の原爆があったわけだけど。
戦後も多くの帰還した兵士や引揚者たちは体験したこと、目撃したことを積極的には語ってこなかった。

戦争というものがどういうものか、真剣に考えさせられた本だった。
戦争の足音が聞こえてくるような最近だけに、いっそうリアルに感じられた。

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アフリカ系のミステリ作家による現代アメリカの姿を描くミステリ [本のはなし]

久しぶりにハヤカワミステリを読了した。
アッティカ・ロック著『ブルーバード、ブルーバード』。
この作家のことはほとんど知らなかったが、アフリカ系だという。

考えてみるとアフリカ系のミステリー作家って聞いたことがないような気がした。
それで、「アフリカ系 ミステリー作家」で検索してみたが何もヒットせず、
「黒人ミステリー作家」で検索してみたら、一人だけ出てきた。
チェスター・ハイムズという父親が黒人、母親が白人という1909年生まれで1984年に没した作家だった。
強盗罪で服役中に書くことの魅力に取りつかれたというが、そうとう紆余曲折の人生だったらしい。
長編デビューしたものの、あまりに風刺が過激だったためアメリカでは売れず、世界を転々としてフランスにたどり着き、そこで作家として花開いたという。

で、『ブルーバード、ブルーバード』は、アッティカ・ロックのデビュー後第2作にあたり、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞のほか、アンソニー賞、英国推理作家協会賞スティールダガー賞を受賞している。

主人公は、ダレン・マシューズという黒人のテキサス・レンジャー。
テキサス・レンジャーというのは昔の西部劇に登場するものと思っていたが、
今でもあって、州内でもっとも尊敬を集める法執行官なのだそうだ。
この職に黒人が付くのはおそらく今でも珍しいのだろう。

マシューズ家は東テキサスの田舎で何代も続いてきた一族。
ダレンは、故あって不仲になってしまった双子の伯父に引き取られ、育てられた。
1人は元弁護士の憲法学者。もう一人は、テキサス・レンジャー。

ダレンもロースクールに通って弁護士になるつもりだったが、法科2年生の時にテキサス・レンジャーの伯父が急死したことがきっかけで、自分もテキサス・レンジャーになることにしたのだ。
学生時代に婚約した妻のリサも、この想定外の進路変更に未だに納得しないでいる。
だが、黒人がこうした社会的地位のある職業につく時代となった今でも、
アメリカには厳然と黒人差別が残っていることは周知の事実である。
そうした社会背景が、登場人物の物語に影を落としている。

その一人が、冒頭、登場するジェニーヴァという黒人女性。
彼女が経営するカフェには、他に行く当てのない黒人たちが集まり、その奥には、古いよしみのアイザックが客の髪を切る理髪スペースがある。

この店の裏に流れるアトヤック・バイユーに、黒人男性に続いて白人女性の死体が見つかった。何年も殺人事件など起こっていない街だったのに。

バイユーというのは、ゆるやかに流れる細い小川のことで、米国南部のメキシコ湾に接するガルフ・コーストの一帯、テキサス州ヒューストンからアラバマ州モービルまでの地域は、「バイユー・カントリー」と呼ばれている。

ダレンは、長年マシューズ家の農場の管理人だったマックが殺人の容疑で逮捕されたとき、法執行側でありながら、マックの弁護のような証言をしたために停職処分になる。
彼はこの殺人事件の背後に「ア-リアン・ブラザーフッド・オブ・テキサス」(ABT)が絡んでいるのではないかと疑っていた。
ABTは、KKK(ク―クルックスクラン)のような白人至上主義の極右団体だ。

ダレンは、大学時代からの白人の親友グレッグから、アトヤック・バイユーに黒人と白人の遺体が挙がったことを聞かされる。
普通ならば、白人の女性が先に殺され、その犯人と見なされた黒人が次に殺されるところだ。
ダレンはその事件とABTとの関連を探るために出かけていく。

とまあ、こんなふうに物語は始まるのだが、そこに殺された男性の妻も現れて、ジュニーヴァの店を舞台に様々な人間関係が展開していく。

ダレンと別居中のリサとの関係、幼い頃、伯父たちに引き取られる原因となった、どうしようもない母親との確執、彼がロースクールに戻ることを期待する伯父との関係・・・
こうした肉親や家族の愛憎が、ジュニーヴァたちの住む小さな田舎街の人間や、被害者となった者たちの愛憎関係とも何重にもかさなっていく。
解説にも書かれたように、ヘイト犯罪と思われたものが、実は愛情をめぐる犯罪だったとわかる展開は、多くの賞を取ったのもなるほどとうなずけた。

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翻訳のタイトル、なんとかならない? とってもいい本なのに [本のはなし]

素晴らしい本だった。
なのに、そのタイトルったら『わたしが看護師だったころー命の声に耳を傾けた20年』って、誰がこんなタイトルにしたの?

原題は"The Language of Kindness: A Nurse's Story".
訳者あとがきに書いてあるように、直訳すれば『優しさの言語ーある看護師の物語』。

メインタイトルは、第2章のエピグラフに掲げられたマーク・トウェインの言葉
「優しさは、耳の聞こえない人にも聞こえ、目の見えない人にも見える言語である」
から取られたものだ。

序でも、彼女が10代のとき、「優しさという言語を教えてくれたのは母さんだ」という一節がある。
著者にとってとても重い意味のある言葉として使われているのだ。
なのに、なぜわざわざつまらない邦題にしてしまうのか、訳がわからない。
出版社である早川書房は、海外ミステリなどには原題を生かした洒落たタイトルをつけているのに…。

著者のクリスティー・ワトソンは、16歳での看護学校に入学してから20年間、ロンドンのNHS(英国保健システム)の病院で看護師として働いているときに小説を書き始め、35歳のときに発表したデビュー作はコスタ賞の新人賞を受賞したという。

本作は彼女の第3作目であり、自らの看護師としての半生を綴った、初めてのノンフィクションである。
英国では刊行直後にベストセラーになり、複数の新聞社の年間ベスト・ブックに選ばれ、テレビドラマ化も決まったという。

これほどの反響を呼んだのは、さすがベストセラー小説の作家らしく、彼女が体験した看護の世界(そこには看護師だけではなく、多くの患者や医師や、多様な家族が登場する)が、みずみずしい筆致で描かれていて、感動する物語となっているからだ。
看護師でなくても興味が掻き立てられる内容となっているのだ。

実際、看護師として働いていると、「物語」にはことかかない。
才能さえあれば、小説にしたいと思うような話にあふれている。

序の最後に書かれている、「看護師として働いた20年間は、わたしから多くを奪った。けれども、それよりもずっと多くのものを与えてくれた。この素晴らしい職業の悲しみと喜びをあなたにお伝えしたい」という著者の言葉どおりに、看護という仕事の光の部分も影の部分も、同じくらい愛おしいものとして描かれており、看護師である読者としては、これほど巧みに看護という仕事の本質を文章にしてくれた作者にありがとうと言いたい気持ちになる。

ただ、この本のすごいところは、それだけではない。
もちろん、彼女の体験を通して英国の看護教育や看護システムなどがよくわかるというのも、一つの得する部分である。
例えば、英国の看護教育は、成人看護、小児看護、精神看護、学習障害看護の4つの領域に分かれているということ。
ただし、「学習障害」と訳されているが、英国でいうLearning Difficultyは、日本では知的障害である。日本でいう学習障害は、もちろん知的障害を伴うこともあるが「発達障害」に分類される障害である。

というような些細な部分はどうでもよくて、とにかく驚くのは著者の知性のかがやき、博覧強記ぶりなのだ。
第1章の扉には、世界人権宣言第25条「すべての人は自己および家族の健康や福祉を維持するために、衣食住や医療などを含めた十分な生活水準を保持する権利を有する」が記されている。
ここから始めるところに、まずうならされるのだ!

そして、第1章は、「私は橋を渡る」という一文で始まる。
今まさに夜が明けようとするロンドンの一角を、病院に向かう看護師の足取りを追い、入っていく病院の敷地内の様子、病院の入口を通りすぎるスタッフやエレベーター前で待っている大勢の人々の様子が細かく生き生きと描かれて、まるで小説のようにこの物語が始まるのだ。

と、思うと、病人の治療を目的に作られた世界最古の施設を作ったというスリランカのバンドゥカーバヤ王の話になり、最古の精神科病院はイスラム世界のバクダッドに紀元805年に作られたこと、古代の病院では治療費が払えない患者を断ることは法律で禁じられていたとして、13世紀のエジプトの病院の例が紹介されている。
こうした歴史から、文学から、医学から、私も知らないことばかり。ほんとうに勉強になります。
なにしろ、彼女は看護と人文科学への貢献を理由に、イーストアングリア大学名誉博士号を授与されているのだ。

その一方で、彼女は、「魂の医学」という言葉に惹かれて最初に精神科での看護を選んだものの、病棟に行った初日に患者をスタッフ(指導者)と間違えて大失敗したことなど、自分の失敗やドジぶりも描いていて楽しい。涙あり、笑いありの看護のあるある話も満載。
でも、英国の看護師は日本の看護師よりも一人一人が自由に動いているように感じる。日本では、ないない話も多いのだ。

本当にこの本は、一般の人々にも広く読んでもらいたい本である。
つくづく、タイトルが惜しまれてならない。
知の輝きなんか、ここからは汲み取れないし、
これではよほど看護に関心がある人しか、手に取らないんじゃないかな?

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日本人の恋びと [本のはなし]

日本人の恋びと.jpg
『精霊たちの家』で大ファンとなった、イサベル・アジェンデの新刊書ーといっても、発行されたのは昨年の2月だったけど―を立ち寄った本屋でたまたま見つけた。

タイトルはなんと、『日本の恋びと』。
ペルーで生まれたチリ人の著者が、なんで日本人のことを?
どんなふうに書いたのだろうという興味から、迷わず購入して読んだ。

美しい装丁。
カヴァーは、ゴッホの「花咲くアーモンドの木の枝」
ゴッホが日本の浮世絵に大きく影響されたことは有名だし、
アーモンドはバラ科サクラ属だから、日本の桜との連想からこの絵をカヴァーにしたのだろう。

と思って読みだしたのだが、最初、戸惑ったのは、「イリーナ・バジーリがバークリー郊外のラークハウスに勤め出したのは2010年、23歳のとき・・・」という書き出し。

イリーナ・バジーリなんて名前は、日本人どころか南米系の名前でもない。
第一、バークリー郊外って、日本ではバークレーで通っているサンフランシスコの街?
後で調べて見ると、イサベル・アジェンデは最初の夫と離婚した後、米国人と再婚してカリフォルニアに移り住んだことが分かった。
だから、この地のことは詳しいわけだ。
ちなみに、この時娘のパウラをもうけるが、彼女は28歳の若さでポルフィリン症のため1年の昏睡状態の後亡くなったという。

で、この小説の舞台、ラークハウスというのは、1900年代半ばに低収入の高齢者でもそれなりの生活ができるようにと創設された高齢者用のレジデンス。
1900年代半ばなんていうと、すごい昔と思ってしまうのだけど、要は第二次大戦後ということなのね。
入居者は、「自由思想の持主、霊的な道の探究者、社会活動家、自然環境保護主義者、無神論者、それにサンフランシスコ湾界隈の希少なヒッピーの生き残り」。

そこに職を求めてやってきたイリーナは、東欧のモルドバ出身。
ウィキをみると、モルドバ共和国は西にルーマニア、東にウクライナと国境を接する旧ソビエト連邦の小国とある。ソビエト連邦の崩壊で、モルドバ共和國は独立を果たしたものの、政治的混乱は続き、国民は貧困と飢餓に苦しむことになる。
イリーナは、モルドバの貧しい集落で祖父母に育てられたが、その二人を置いて国を出てきてしまったことを悔やみ、彼らにやれなかったことを、ここの高齢者にやってやりたいと思ってここへやってきたのだ。

ラークハウスの入所者は250人。もともとチョコレート事業で成功した名刺の雄大な所有地だったところを市に寄付し、資金援助まで行ったというレジデンス。

本館は派手な城館づくりで、オフィス、図書館、食堂、各種教室などの共通エリアがある。
別棟は木製屋根の建物群からなっていて、庭師のチームが手入れをする自然を生かした庭園(リスや鹿がたくさん生息している)があり、そのまわりは屋根とガラスの窓のついた広い廊下でレジデンスの建物がつながっている。
なかなか魅力的なレジデンスである。

おまけに図書館(映画も上映される)と遊戯室は終日開放、美容室もあり、絵画や占星術までさまざまな教室がある。
ボランティアによるお店も。
ここには亡くなった元入居者たちが遺した、衣類、家具、宝飾品などの貴重品も売っている。
ここがほんとにあったら、絶対入りたい!

ただ、現実的な状況はあって、入居者は日常生活動作のレベル(=死にどれだけ近いか)に合わせて、レベル1からレベルⅣまで入る棟が決まっているのだ。
レベル1は、普通のアパートの住人のように自由に暮らしている。
レベル2は、車いすや歩行器をつかって多少の介助はいるが、たいていは自分でできる人。
車椅子で反戦や地球温暖化反対のデモに出かける101歳の活動家などもいる。
レベル3は、死ぬほどではないが、次のレベルⅣの控えといったところ。
レベル4になると、ほぼ寝たきりで、全面的に介助なしでは生きていけない。あとは死を待つだけとなる。

どこにあるかもわからない国から来て献身的に働く若く美しいイリーナは、さっそく入居者に気に入られ、求婚されたり、遺産の相続者に指名されたりするが、それを固辞したのを見て経営者が感動し、正職員として採用されることに。

このイリーナがいわば要となって、物語が展開していく。

もう一人の重要な登場人物が、アルマ・ベラスコという入居者。
自主性にこだわり、自信の強さは人一倍という女性。
不揃いに短くカットした白髪に、赤い口紅と男性用の香水をつけている。
自分のアトリエ用に倉庫を借りていて、そこでシルク地に絵を描く仕事をしている。
アルマは、イリーナを気に入って私設秘書として雇うことにする。

アトリエでは、ダウン症で知的障害があるキルスティンが助手として、アトリエを整理したり、絵筆を洗ったりしてくれている。

彼女のデザインによる着物や洋服、スカーフなどはアートギャラリーで驚くほどの高値がつき、その売り上げは、ベラスコ財団の収入になっている。
彼女の養父であり、義父でもあるイサク・ベラスコが設立した都市の緑化と環境保護にあたってきた財団である。
その財団を継ぐことになるのが、アルマの孫息子セツ。
彼は、一見すると男の子のようななりをして、影の薄いイリーナを一目見て心を奪われる。
アルマの伝記を書くという口実で、しきりとラークハウスのアルマを尋ねてくるようになる。

しかし、アルマには孫息子にも知られたくない秘密があるようだ。
ときどきで書けていなくなるのだ。秘密の愛人か?
セツとイリーナは興味津々、探り始める・・・。

ここで、「日本人の恋びと」である、イチメイ・フクダの存在が明らかになり、章の終わりや初めに、イチメイがアルマに当てて書いた恋文の一節が挟み込まれるようになる。
日系人庭師と雇い主の娘との恋物語と言ってしまえばそれまでなのだが、
それで終わらないのがイサベル・アジェンデである。

アルマは、第二次大戦時にポーランドから親戚のいる米国に一人っきりで逃れてきた過去をもつ。
家族はみんな強制収容所に送られ、死んだ。

一方、イチメイはアルマを引き取って育てたイサク・ベラスコの農園に雇われた父と一緒に庭師として才能を発揮していた。
やがて子どもだったイチメイとアルマは仲良くなり、やがて恋心が芽生えていくが、第二次世界大戦の勃発とともに、イチメイ一家は敵性外国人として砂漠地帯の強制収容所に一家ともども収容されてしまい、愛する二人は引き裂かれてしまう。

このように、悲惨な人類の歴史に翻弄された悲恋の物語なのだが、
その一方で老いと死というテーマが重く語られていく。
だが決して暗くはない。
なにしろ、みんな年をとっても個性的で、昂然と頭を上げて生きている女性ばかりなのだから。

さらに、日本ではイトコ婚は近親相姦とはならないが、欧米ではタブーという社会文化的問題もこれに絡んでくる。
さらにさらに、もう一つ秘密にされてきたことがあり…
何層にもドラマが重なっているのである。

ところで、日本である。
アルマは日本が大好きで、何度も京都を訪れているという設定である。
なんだかほめすぎだと思うほど、日本の静謐さや繊細さなどが賞賛される。
墨絵もそこで知り、自分のものとしていくのだが、墨のことを黒曜石の粉と書いていたり、ちょっと、と思うところがある。

結局のところ、この“日本”も、彼女の壮大なファンタジーの一部なんですね。



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母子関係はミステリー? [本のはなし]

GWが終わり、写真の整理のついでに滞っていた身の回りの整理をしたりしていたら、
気づけばもう5月も半ばを超えてしまっていた。
1年の半分が過ぎようとしているぅ・・・。

寝る支度に入る時間がだんだん遅くなり、そのために寝る前に本を読む時間もだんだん短くなってしまった。
それで、読み終わるペースも落ちて、ようやくハヤカワミステリを1冊読み終わった。
エリーサベト・ノウレベックという作家の『私のイサベル』。

スウェーデン王立工科大学で工学修士号を取得したという異色の作家のデビュー作。
もともとミステリを読んだり、テレビドラマを観たりするのが好きだったところに、
夫の「自分で書いてみたら?」という声に押されて、3人目の子どもの育児休暇中に書き始めたのだという。

そんなんで書けちゃうんだ、と驚くが、
育児休暇中にこの本?ということにも驚く。
とにかく、狂気じみた母親の物語なのだから。

主人公は、ストックホルムで心理カウンセラーをしているステラ。
夫と13歳になる息子と暮らしている。
彼女は、若くして恋人との間に娘アリスを設け、幸せな日々を送っていたが、ある日、散歩に出た海辺で、突然アリスが姿を消す。
捜索の結果も空しく、一時は彼女が我が子を殺したのではないかとの嫌疑をかけられる事態に。
やがて、事故と断定され、遺体が見つからないまま葬儀が行われる。
そうした現実を受け入れることのできないステラはうつ病を発症し、精神科病院に強制入院させられる。
やがて、その体験からみずからカウンセラーになる道に進んだステラだが・・・。

ある日、父親の死をきっかけに、カウンセリングを求めて彼女のクリニックにやってきた女子大生イサベルを見た瞬間、ステラは彼女が行方不明になった娘アリスだと直感する。

物語は、ステラとイサベルが交互に描かれていく形で進む。

イサベルは、アリスだと確信したものの、自信がもてず、直接来院したクライエントに問い質すことの異常さも自覚していたため、夫にもすぐには打ち明けず、アリスにグループセラピーを受けるように勧める。

ミステリにも、何気に(この言葉は好きではないけれど、ほかにどんな言い方がある?)グループセラピーが登場することに注目!
描かれた様子からすると、著者も経験があるのかもしれない。それとも、取材したか。

アリスはそんなことともつゆ知らず、関心を寄せてくれるステラを気に入る。
だが、彼女の母親シェスティンは、娘が他人と付き合うことを嫌い、大学入学を機に家を出てストックホルムで暮らす娘のことをいろいろと干渉してくる。
カウンセリングなどはもってのほかだ。相談するなら親に決まっている、という考え。
しかし、アリスはうるさがって言うことを聞かない。

やがてシェスティンは、ステラのカウンセリングを妨害し始める。
その一方で、ステラもなんとかアリスが自分の娘であることの証拠を得ようと狂わしいまでの行動にでるようになる。
二人の母の狂気。
どちらが本当の母親なのか。どちらが狂っているのか。

ステラの夫ヘンリックは、寛大で理解ある夫なのだが、ステラは自分の確信が夫には妄想と思われ、再び強制入院させられるのではないかという恐れから、素直に打ち明けることができない。
実際、亡き娘のことで妻が再発してしまうのではないかと、ヘンリックは恐れているのだ。
やがて、ヘンリックにさえも疑心暗鬼をいだくようになるステラ。

ネタバレになるので、この先は書けないのだけれど、
げに恐ろしきは人の心、という話。

寝る前の本としては、あまり穏やかではないストーリだった。
ちょっと最後の展開に不満が残ったけど、これを3人目の子どもの育児休暇中に書いたとしたら、よほど怒りとフラストレーションがたまってたのかな。


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俳優さんの才能 [本のはなし]

以前、このブログで女優の片桐はいりさんが大変な映画ファン、映画通であることを書いた。
学生時代は7年間も映画館でもぎりのアルバイトをしていたというから、本物だ。
ちなみに、「はいり」という名前は、幼い頃から「アルプスの少女ハイジ」の大ファンだったことからつけられたあだ名を、そのまま芸名にしたのだそうだ。

その片桐はいりさんに、先日新しいパスポート(いよいよ、南の海が待っている!)を取りに有楽町の交通会館に行った時に、たまたま出会った。
数人の人と一緒に話しながらドアを入ってきたのだが、背が高くてひときわ人目を引いた。

それだからではないが、彼女のエッセイ『グアテマラの弟』(幻冬舎)を読んだ。
2011年に刊行された本だから、ずいぶん前になる。
彼女のエッセイを読んだのは初めてだったが、なかなかの書き手。
とってもおもしろかった。

俳優ですぐれたエッセイストという人は多くて、古いところでいえば、池辺良(若い人は知らないかも)のエッセイなんて、おもしろくて笑いがとまらなくなったことを覚えている。
女優の高峰秀子や沢村貞子などもおもしろかったなあ。

最近では、朝日新聞の大竹しのぶのエッセイも面白い。
黒木瞳は、なんだか旦那との仲のよさについての自慢話みたいなのが多くてちょっとね。

最近は俳優やら芸人やらが小説を書いて賞をとったりするから、本業の小説家をひっ迫させているのではないかなんて思ったり。

だんだん話が逸れてきた。

『グアテマラの弟』だ。
私には男兄弟がいないので、弟という存在がどんなものだかわからないのだが、
小さい頃は弟に「お兄ちゃんがいい」といわれて、必死にお兄ちゃんになろうと
キャッチボールの相手をしたり、なんでも望む相手になっていたのが、ある日、
弟がお姉ちゃんの胸がふくらんでいるのに気づいて驚き、
やがて二人の距離が遠くなっていったなんて、そんなのあるんだ?

その弟が世界を放浪した末に、南米はグアテマラに居つき、家族ももつようになり…。
そこに彼女が訪ねていくという話。
(弟一家が日本に来た時の話もあり)
その驚くべき旅でのはいりさんの体験が面白おかしく語られていて笑っちゃうのだけれど、彼女の自然や人物の描写が本当に巧みで、感心したり、ほろりときたり…

日本の文化と南米の文化との違いもよくわかり、だいぶ趣は違うのだけれど、大好きなイザベル・アジェンデの『精霊たちの家』を連想したりした。



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人生の終わりかけに… [本のはなし]

1年契約だった大学の仕事が1年延長となった。
年をとっての新しい職場は慣れるのが大変だったが、やっと慣れたかなと思ったところで終わってしまうのかと残念な気持ちもあったので、よかったと思う一方で、やれやれという気持ちもないではない。
しかも、去年より担当科目が増えてしまった。

4月からは大学の仕事を辞めているはずだったので、遠方の仕事も結構引き受けてしまっており、これから8月までは毎月のように巡業にでることになってしまった。
しかも6月は隔週だ。

年をとってきて、精神的にも肉体的にも若い頃のようにはいかないという現実に直面するようになってくると、否が応でも自分にとって職業とはなんなのだろうかと考え出すものだ。
そんなミステリを見つけた。

レイフ・W・ペーションの『許されざる者』(創元推理文庫)の主人公ラーシュ・マッティン・ヨハンソンは、かつては「角の向こうが見通せる」と恐れられた切れ者の国家犯罪捜査局の元長官。
ある日、道端のお気に入りのホットドッグを買った直後に脳梗塞で倒れる。
病院に運ばれ一命を取り留めるが、元のような身体も頭脳も戻ってはこないという現実に直面する。

そんなある日、主治医の女医ウルリカが、牧師だった父がある殺人事件の犯人を知っているという女性から懺悔を受けたものの、誰にも口外できず、悔いを残したまま亡くなったと打ち明けたことから、彼の消えかかっていた刑事魂に火がつく。

スウェーデンでは2010年に法改正が行われ、重大犯罪は時効が廃止されたのだが、その殺人事件はその時点ですでに時効が成立してしまっていた。
殺されたのは9歳の少女。
当時初動捜査にあたったのが、ラーシュが軽蔑する無能な刑事だった。
しかも、この事件が迷宮入りせざるを得なくなった背景には、パルメ・スウェーデン首相の暗殺事件という社会的大事件による混乱があった。
ちなみに現実に起こったこの事件の真相は未だに謎のままである。

こんなふうに病気や怪我で身動きが取れない探偵が協力者を介して推理を進めていく小説を、「ベッド・ディテクティブ」というのだそうだ。
ジェフリー・ディーヴァーの四肢麻痺の探偵リンカーン・ライムなどが有名だ。

本書でラーシュの協力者になったのは、警官時代の元相棒で同じく年金生活者のボーと、義弟の元会計士、介護士のマティルダ、兄から介護のために派遣された謎めいた過去をもつロシア人の若者マキシムと、多士済々である。

だが、25年も前の迷宮入り事件の謎を、果たしてこの珍妙な混成チームが解くことができるのか?
しかもラーシュは、暴飲暴食の欲求にいつでも屈してしまいそうで、妻のピアにはいつも注意されている。
彼は、命を長らえることができるのか。

謎解きは、多少の紆余曲折はあるものの、一気に進んでいくのだが、最後には謎が残されているのがこの本のらしいところである。
この、CWA賞やガラスの鍵賞など5冠に輝くミステリの著者レイフ・GW・ペーションは、スウェーデン統計局のコンサルタント、社会省の科学アドバイザーなどの傍ら国家警察委員会(現・警察庁)に在籍し、長官の補佐役も務めたことがあったという。(杉江松恋の解説による)
だが、政治的スキャンダルに巻き込まれ、解雇処分を受けた。
その後、ストックホルム大学に戻って犯罪学の博士号をとり、同大学の講師も務め、やがて国家警察委員会の犯罪学の教授に任命された。
その傍書いた小説が売れたことから、公職復帰を果たしたという。
その後、現在に至るまで作家業と犯罪学研究者としての仕事を並行して続けているのだそうだ。
精神科医が小説を書くようなものか?
でも犯罪学研究者はデータに基づく科学的分析を生業としているのではないかと思われるので、小説家の仕事はそれでは飽き足らない空想欲求を満たすものなのかしらね。

ところで、
この小説にも登場する女性検察官はTVシリーズ化され、その他の登場人物も映像化されているという。
いずれ日本でもお目にかかれるのではないだろうか。

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電子書籍初体験 [本のはなし]

オンライン本屋の誘惑に負けて、とうとう電子書籍に手を出してしまった。
紙の本への愛着もあるし、何より街の本屋さんへの忠誠心(?)もあって、躊躇していたのだが。

特別なタブレットを購入しなくちゃいけないのかと思っていたら、短い通勤時間でも手軽にスマホで読めるというのが、気が変わった一番の要因。字も大きくできるし。
旅行に行くにも本を持たずないでよいので便利だ。

でも、本屋さんに悪いという気持ちは拭えず、読みながら罪の意識で胸がチクチク痛む。
しかも、オンライン本屋では本が割引で売られているのだ。
(とくにコミックは割引本が豊富。といっても私はコミックは読まないのであまり関係はないが。)

これは乱読傾向のある人にはたまらない。(本屋にもたまらない)
作家にとってはどうなんだろう。
やっぱり印税収入が減るのかな。

で、いろいろ購入して読んだ小説のなかで、スマホで読むのに合っているなと思う本があった。
村田沙耶香の『コンビニ人間』。
芥川賞をとったことは知っていたが、このタイトル自体にあまり魅力を感じなかった。
自分自身がコンビニ人間になりかけているようで、嫌だったからかな。
何しろ、マンションを出ると数歩でコンビニだったから。
でも、そのコンビニも本の1分ほどのところに移動して、そんなに行かなくなった。
ちょっとの距離で随分と違う。

この小説の主人公はコンビニを「小さな光の箱」「透き通ったガラスの箱」と表現する。
いつかの夜に本郷の東大構内を通った時、あたりは真っ暗なのに、コンビニだけが白い光を煌々と放っているのを見つけたときの衝撃を思い出した。「小さな箱」ではなかったけれど。

でもこの小説は、ただコンビニに依存して生きている人間という話ではなかった。
コンビニを生きている人間だったのだ。

超単純化して言えば、生きにくさを抱えた発達障害の人の物語ということもできる。
感覚が鋭く、それでいて人情の機微はわからない。
「普通」ではないと非難され、「普通」の人間になろうと必死に周りの人間を観察し、同化しようとしている。
そうした主人公にとっては、すべてがマニュアル化されているコンビニは、分かりやすく同化しやすい世界なのだ。

でも、面白いのは、主人公が自分だけでなく、他の人々も同じように周囲に同化しながら生きていると見抜くところだ。
話し方やちょっとした仕草などの変化によって、彼女はその人の人間関係にどんな変化があったかを逆に推測することができるのだ。

また、きちんとした就職をして結婚し、そして子供を持つこと。それが、この社会の、とくに女性に対する「普通」の基準。
それをしない人に対して、人々は容赦なく「変な人」という目を向ける。

この世間の目に対して主人公は抵抗を試みようとする……。
その発想と登場人物の設定がとっても面白い。
それにこの物語の語り口がとってもユニークで文学的なのである。
コンビニで文学。
およそ繋がらないと思われそうな取り合わせから面白い物語を編み出したのはすごい。
リアルでありながらファンタジーのようでもあり、
芥川賞を受賞するだけのことはあるなと感心。

なんとなくスマホで本を読みだしたばかりでこの小説に巡り合えて、感覚的にグッドタイミングという感じだった。


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