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生まれました! [こんなことあんなこと]

先週、待ちに待った甥っ子のBABYが誕生しました。
予定日から3日過ぎてでしたが、体重3220g、身長52㎝という大きな女の子。

ママは私と同じくらいの小柄で華奢な体格だったので
なかなか生まれてこず、結局帝王切開となりました。
産後も寝たまま酸素吸入を続けていたそうで、赤ちゃんの授乳もすぐにはできなかったそうです。
隣の部屋の赤ん坊の泣き声を聞きながら、さぞや辛かっただろうと思います。

でも、今は座って抱っこすることもできるようになって
授乳の練習も始めたようです。

CIVID-19のせいで、パパも出産に立ち会うことはできず、
今も面会はパパだけ見たいです。
でも、写真を送ってきてくれたので、何度も見ています。
帝王切開なので、頭や顔がひしゃげてなくて、かわいいです。

これからは、あなたが生まれた年は、コロナで大変だったんだよって
一生言われるようになるんでしょうね。
無事に育ってくれることを祈るだけです。


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待ち遠しい [こんなことあんなこと]

ワッ、前回更新してから2週間近く経ってしまった。

このところ、人生の大事件が重なって、てんやわんや。
甥っ子のところの第1子が生まれる予定日が、今日だったんだけど、まだ連絡がない。
最初の子は遅れるからねと、言ってあげてはいたのだけれど。

妊娠してから、浦和から栃木に引っ越して、今は茨城の妻方の実家にいる。
最近の産院はホテルのように素晴らしいらしいのだけれど、
コロナ騒ぎで面会にいくこともできない。第一、遠いし。

2人が結婚式をあげる直前に、うちの母、彼にとっては祖母が急逝した。
生きていたら、きっと喜んでいただろう。
孫がいないということについて、その前に亡くなった父も母も口には出さなかったけれど、
気にしていたのではないだろうか。

とくに父は、生まれてすぐに父親を亡くし、一人っ子で、虚弱児施設で育ったから
孫が生まれたら、どんな顔をしただろうかと、思う。
あまり愛情表現の得意な人ではなかったけど、晩年には少し性格がかわっていたから
孫には相好を崩して、ベタベタしたかもしれない。

あぁ、早く生まれないかなあ…。





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断捨離をやってみようかと・・・ [こんなことあんなこと]

自粛生活も4か月近くもなると、部屋の中が混とんとして来てしまった。
おまけに締め切りに追われながら原稿を書いていると、資料やら本やらが机の脚元に増えてきて、どうしようもなってきたので、ワイヤーラックなるものを購入してみた。
本棚ほど圧迫感がないと思ったのだが、プラスチックのジョイントでつなぐ式のもので、
本など重いものを入れることは想定していないようだった。
ある日、ジョイントがはずれて中身が崩れ落ちた。

うんざりしてしばらくそのままにしていたのだが、掃除もできないし、デスク下収納用のキャスター付きのファイリングデスクを購入した。
自分で組み立てるのだったが、前に購入した電動ドライバーのおかげで、難なく完成。
やっぱり電動ドライバー、買ってよかった。女性用の小型のやつだけどしっかり仕事してくれる。

で、それに本を詰め込んだら、ちょっとすっきりした。
それで、なんとなくこれまでたまった物を整理してみようかという気になってきた。
原稿締切前の、回避行動という解釈はちょっと脇に置いておいて・・・。

何が無駄に溜まっているかと見まわしてみると、やっぱりぬいぐるみだ。
50年近く前のクリスマスにプレゼントしてもらったモコモコの子羊ちゃんなんて、白いはずが灰色になっている。
くれた人はもう亡くなってしまった。
で、思い切ってこれを捨てることにした。
断捨離第1号…。

なんかそれを捨てると気が抜けてしまい、そのほかにも捨てていいような、いつどこで手に入れたのかも覚えていないようなぬいぐるみはたくさんあるのに、捨てる決断ができなくなってしまった。

断捨離って疲れるのね。

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Zoomのおかげで考えた [こんなことあんなこと]

いまだに巣ごもりが続いている。

それにしても、大学に通勤していないのに、忙しいのはなぜだろう。
4月から2日勤務日を減らして、月10日の契約となったのに、毎日Zoomしているから、通算すると相当の日数を働いている。5月なんて3週間びっちり、毎日仕事をしていた。

もちろん、Zoomの時間だけをカウントすれば、合計しても10日分にはならないのだろうけれど、そのための準備などを勘案すると、10日以上働いているような気がする。
実際、大学にいても、1日びっちり講義をしているわけではないのだから、拘束時間は1日7時間30分でも、実働時間はさほどではない。
それを考えると…。

ま、愚痴はそのくらいにしよう。

最近、偶然にも教え子たちの子供が学齢期になって、いろいろ悩み事を聞くことが多くなった。
とくにコロナの学校の自粛期間は、ずっと子供たちが家にいることになって、子供たちと親との関係がガラッと変わった。

今にして思えば、日ごろあまり親と接する時間が少なくなっていた子供たちにとっては、親と接する時間が増え、たくさんの課題は出されても、遊ぶ時間はたっぷりあったのだ。
親の職場に一緒について行ったりした子もいた。
こうして子どもたちはある意味、子どもらしい時間を取り戻したようである。

ところが、学校が再開するとなると、たちまちお勉強に追われる日常が戻ってくる。
もともと学校が好きで、再開を心待ちにしていた子どもは喜んでいるが、
あまり友だち付き合いもうまくない、お勉強もいまひとつ乗らないというような子どもにとっては、学校再開はうれしいものではない。
しかも、変則的な時間割ともなると、これまでの学校とは違っているわけで、クラス替えもあったりすると、なじみのない環境に入っていくことになる。

一方、親の方も自宅にこもっているうちに、うつ状態になって、
それでも子どもが家にいるうちはよかったのだが、子どもが学校に出かけるようになると
親の方が喪失感でますますうつがひどくなったりしているケースもある。

そんなこんなで、Zoomで子育てチャットグループを急遽開催することになったのだった。
夜、子どもたちが寝静まったころ、集まった。
そして、それぞれの悩みをぶちまけて、泣いたり笑ったり怒ったりしているうちに、
それぞれの気持ちに変化が起きてきたようだった。

やっぱり、頭で考えているのと、実際声に出して言ってみるのとでは、全く違うということがわかる。
頭で考えていると、自分は自分のことをよくわかっているつもりになるのだが、人に話してみると、まったく違う自分のある面に気づくことがあるのだ。

それに、ほかの人の話を聞いて、自分と比較してみるとまた、別の感想も出てくる。
うちの子はまだましなのかも、とか。

それにしても、母親たちは子どもを育てながら、毎日鏡で自分を見るような体験をしていることがよくわかった。
それがつらいのだ。毎日、完璧な親ではいられないから。
こんな親でいいはずはないと思うことばかり。
しかも、そんなことを普通は誰にも話せない。

私は子どもがいないから、そのあたりは頭で推測するしかないのだが、
病棟で働いているときには、患者さんとのかかわりで自分の親との関係を考えさせられたことが何度もあった。
そして、こうはなりたくないと思っていた親のような人間になってしまっていることに気づいて、愕然としたこともある。
優しく理解ある人になりたかったのに…。がみがみいう怖い人間にだけはなりたくなかったのに...

でも、どうしてあの親はあれほどまでに子どもに厳しかったのだろう。
姉の子育てを見て、もっと厳しくしなくちゃと批判していた母。
それがどんな影響を及ぼしたのか、私を見ればわかるだろうにと思ってみていた。
親が期待する方向にいったんは進みながら、まったく別の道に進み、親からすれば期待外れに終わった結果が目の前にあるのに。
大学を辞めようと考えたときに、そのことを母親にコンフロントしたことがあったのに。
あれはちっとも突き刺さっていなかったのだなと思う。

親を見ていて、自分は親になりたくないと思ってきた。
今もそれはそれで良かったと思っている。
でも、どこかで自分は責任から逃れて生きてきたとも思う。
教育に携わっているのは、ある意味、罪滅ぼしかもしれない。

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身近な戦争トラウマ [こんなことあんなこと]

前回も、コロナ自粛のおかげでインターネットの世界が拡大したということを書いたが、
今回も、その続き。
拡大したのはインターネットの世界というより、インターネットを介してではあるが、世界認識の拡大というべきだろう。

5月23日に、21時から「高遠菜穂子さんに聞く、日本が「人道支援立国」になるには?」という、zoomを使ったトーク番組があった。なんと生放送、Liveである。
そんなことができるようになったことも驚きである。

ホストは原寛太さんというフリーランス国際協力師を名乗る青年だ。
早稲田大学で社会学を、カリフォルニア州立大学で国際関係を学んだあと、国際赤十字委員会を含むさまざまな国際機関でインターンシップをしたのち、今はフリーランスでアフリカでの草の根支援にあたっているという。

高遠菜穂子さんは、イラクでの人質事件の”被害者”としてあまりにも有名だが、最近私は彼女のfacebookを通して、今もイラクで子どもたちの教育支援(絵本の読み聞かせなど)を行っていることを知り、フォロアーになった。

この原寛太さんとのLiveでは、寛太さんの問いかけに対して高遠さんが答えていくという形で、二人が現在行っている国際支援の状況を語っていった。
寛太さんがいうには、今、アフリカを目指してくる日本人の若い人が多いそうなのである。
高遠さんもアフリカ独特の土地の持つエネルギーなどの魅力についてはわかると語っていた。

それに比べると(と寛太さんはいう)、高遠さんのいるイラクをはじめとする中東地域は、政治的な問題が絡んで内戦状態にあり、遥かにシビアで危険な気がすると。
確かに、高遠さんが前線のすぐ近くで難民支援を行っている様子を聞くと、いつ銃弾に倒れるかもしれない恐怖が伝わってくる。

多くの国際機関が難民保護のために奔走しており、爆撃などの情報を察知しては、難民たちに避難経路を指示しているのだそうだ。
ところが、その指示どおりに逃げる難民ばかりではなく、なかには指示された先には別の迫害者が待っている可能性もあるので、あえて違う道をめざす人たちも多いのだとか。
個人で活動している高遠さんは、そうした大きな機関では保護しきれない少数の難民たちと行動を共にし、救援を行っているのだそうだ。

ただ、日本政府はイラクを敵国とみなしているし、個人で活動していても、日本代表とみなされるので、その辺は苦労するとのこと。

で、現地の活動にまつわる恐怖の話から、寛太さんが現地の危機はあらかじめ対応を慎重に考えて行動するので、ある程度自分でもコントロールできる。だが、怖いのは、むしろ帰国した後に日本で受ける社会的バッシングだと言って、安田純平さんの例を挙げたときだった。

とつぜん、高遠さんが泣き出したのだ。

ちょうどこの日、テラハに出演していた若きプロレスラーの木村花さんが急死したとのニュースが流れており、二人はそれを自殺として、さらにはSNS上の口ぎたない批判にさらされた挙句の自殺として語った。
高遠さんは、「日本では人が死なないと、この問題の深刻さに気づけないのか」と泣いた。

彼女は、10数年前にイラクで人質になった後、日本に帰国後はひどいバッシングに遭い、地下鉄に乗っても雑誌のつり革広告に載った自分の名前と顔写真が追いかけてくる状況だったという。
どこに行っても逃れられない状況に、「消えてしまいたい」と思ったこともたびたびだったそうだ。

だが、「トラウマは決して過去にはならない」のである。
こんなにしっかりした、幾多の危険を乗りこえてきた彼女でさえも、その時の記憶が一瞬にして蘇り、なまなましい感情を当時と同じ痛み、苦しみとともに再体験するのである。

彼女は木村さんのニュースに自分のトラウマがフラッシュバックしてきたと言った。
そして、彼女のトラウマは、人質となったときのトラウマと、帰国後のバッシングで負ったトラウマとが分かちがたく結びついていて、二重のトラウマとなっているのだという。

「消えるしか、この苦しさから逃れる道はない」とさえ思ったという彼女が、何とか生き延びたのは、「頑張らない、でも踏ん張ろう」という思いだけでだったという。

この放送でも言っていたが、彼女が笑ったときの大きな笑顔と普通に話をしているときの真剣な顔とは、ものすごく違っていて、その間を一生懸命生きているのだろうなあと思い、胸が詰まった。
彼女には、内戦で故郷を奪われた難民の恐怖と悲しみが痛いようにわかるのだろう。

こんなリアルな体験を見ている側もリアルに経験してしまうのが、新しいネットの世界だからこそなんだろう。

彼女は、「海外派遣自衛官と家族の経験を考える会」という組織を立ち上げ、戦争トラウマへの啓発活動を行っている。
5月31日(日)、6月7日(日)、6月14日(日)の3日にわたって、シンポジウムを開くとのこと。
参加申し込みは、会のサイトからできます。 https://bit.ly/2ziMFPc




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悲鳴がきこえる [こんなことあんなこと]

3月末から自宅勤務を続けてはや2か月半。
4月からは、Zoomでの会議が導入され、思いもしなかったITを駆使しての日々が始まった。

そして、半年以上前から楽しみにして計画を練り、自らツアコンをする予定だったゴールデンウィークのマレーシア旅行もキャンセルとなり、いつのまにか5月となっていた。
大学では、講義をZoomでやるというので、改めてパワポや配布資料を作り直し、大学の教育研究システムを通じて配布したりしている。

都立大学のこのシステムはkibacoというのだが、どうやら大学によってそれぞれの名前がついているらしい。
このシステムからZoomの招待メールを送ると、履修届を出した学生全員に届く。
一人一人のアドレスを打ち込んで送る必要はないから、便利ではある。
でも、学生は自宅で資料をプリントアウトしなければならないから、印刷代やインク代がかかると文句を言っている。施設も使わないのだから、学費を半額にしろと。
このご時世で、経済的にも苦しい学生も多いのだろう。

ほかにもサイボウズとやらのシステムがあるというのだが、なんのことやら。


体験グループも休止状態だったが、Zoomでやることにした。
残念ながら、この手のことは苦手だからとか、嫌いだからとかで(その気持ちもよくわかる)、参加しないメンバーもいるのだが、けっこう何とかみんなと話がしたいというメンバーが多くて、決行することにした。

今のところ、45,6人規模のグループの研修会(3時間)と、7人の体験グループ(1時間)に参加した。
やっぱり規模が大きくなると、画面上で全員が映らないし、集中力が途切れてしまう。
グループならではの雰囲気も感じ取れないし、いまいちだった。

だが、7人の体験グループのほうは、職場でのリアルな体験が語られて、最後は同情したメンバーが号泣するというおまけまでついて、1時間はあっという間だった。
実際、話を聞くだけで、何もしてあげられないという不全感や罪意識は湧いてくるが、それはいつものグループでも同じことだ。
だが、今回ばかりは情況が凄すぎる。
よくネットでも「医療関係者に感謝を!」と呼びかけているが、「感謝するなら防護具をくれ」「代わりに夜勤をやってくれ」って感じかな。
実際、何が起きているかは、想像を絶するものがあるのだ。

具体的な内容までは書けないのだが、たとえばN95というマスクは、きっちりと装着すると15分くらいで息が苦しくなる。
さらにゴーグルにフェースシートをつけ、防護衣や手袋もしているから暑くて汗もだらだらでてくる。
それにコロナウィルスがいるかと思うと、自然に息が浅くなり、徐々に酸欠状態になるのだが、深く呼吸するのも怖くてできない。そのうち意識が遠くなりそうになる・・・といった具合だ。

とくに精神科の場合は、内科などの身体科の経験のないスタッフが多いために、人工呼吸器の扱いなどは、はっきり言って素人みたいなものなのだ。
アラームが鳴るたびに、あたふたしてしまう。(一晩中鳴っていたこともあると)

麻酔をかけられ、人工呼吸器につながれ、点滴ルートや排尿のためのドレーンチューブやらが何本もつながった患者さんのケアなんて高度なことをしたことがないのが当たり前なのだ。
認知症の患者さんだったりすると、安全のためには拘束しなくてはならない。
褥瘡ができる。
でも、ゴーグルにフェースシート、さらに手袋をして、何本ものチューブをかいくぐって呼吸器につながった患者さんの褥瘡の処置をするなんて、宇宙旅行をするより大変そうだ。
指導者がついているわけでもなく、マニュアルすらないと。
患者さんも気の毒だけど。

職場異動を申し出ても、代わりのスタッフがいない。
育休から復帰するはずだった看護師が、保育園が子どもを預かってくれないということで復帰できなくなったりしているのだ。
自宅に小さな赤ん坊がいるとか、高齢の親がいると言っても、異動は認めてもらえない。

こんな悲鳴が、あっちからもこっちからも聞こえてくる。

世の中、緊急事態宣言の解除ムードで、東京でも人出が多くなっている。
これでは第2波、第3波が来るだろう。
そんなとき、病院は、スタッフは、生き残っているだろうか。






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トリビアな知識 [こんなことあんなこと]

COVID-19の感染防止で自宅勤務状態。
もっぱらパソコンの前で面白い情報を探してはFaceBookに乗せるのが楽しみの毎日。
本当は、取り組まなければならない原稿も山のようにあるのだけれど。
その資料を集めるためにも、またネットサーチ。

そんな中、びっくりする発見をした。
アメリカのCaselという組織を調べていたときだ。
90年代に「心の知能指数:EQ』というベストセラーを出したダニエル・ゴールマンが設立したCASELという団体がある。Collaboratives of Social, Emotional Learningの略。
SELすなわちSocial emotional learningを実践しようという団体。
考える知性より、感じる知性と対人関係を重視する教育である。
学校や地域でそうした考えを広め、実践していこうとしている。

前にこのサイトをみたときは、学校版の治療共同体といった感じのミーティングの動画があったが、今は、より学校風の印象だ。考えは変わっていないようだけど。
そのサイトhttps://casel.org/what-is-sel/を覗いたら、ティム・シュレーバーという男性が動画に現れた。
その顔、シュレーバーという名前。
さっそくwikiで調べたら、やっぱりあのケネディ大統領の甥っ子だった。
みんな非業の死を遂げていると思っていたら、こんなに立派に社会に貢献している人もいたのね。
彼の母親は、ケネディ大統領の妹。ユーニス・ケネディ・シュレーバー。
ユーニスの長姉がローズマリー。若い頃は知的障害と言われていたが、おそらく双極性障害か境界例パーソナリティ障害だったのか、修道院に入れられたりしている。
その後ロボトミーをアメリカで広めたことで悪名高いフリーマンのロボトミー手術を受けて、廃人同様になったといわれている。
しかし、80過ぎまで長生きして、ケネディ一族には珍しく自然死を遂げたそうだ。

そうしたことから、ケネディ大統領は有名な精神障害に関わる大統領教書を発表。
劣悪な州立精神病院を廃止して、地域精神衛生活動を進めるように大転換した。
ユーニスも、知的障害者のためのスペシャルオリンピックを創設し、息子のティムが現在会長を務めている。
ティムは、ハーバード大学を卒業後、公立高校の教師として働いた経歴もあるそうで、このSELについての関心もそうした経験からきているようだ。

いろいろブラウジングしていると、知らなかったことがたくさん。
たとえばダニエル・ゴールマンは学者一族の中に生まれ、若い頃インドに行ってヨガを学んだなんてこと。
彼の感情知性のルーツはインドにあったのね。
トリビアな知識ではあるけれど、理論はその生まれた背景を知ることが大事だから…ね。


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新型コロナ体験 [こんなことあんなこと]

新型コロナの感染拡大で、在宅勤務をしている。
それとともに全く予想もしてなかった新たな体験を毎日している。
大袈裟に言えば、世界認識がガラっと変わった。

第一、世界中の人がかくも密接に繋がっていることを、ウィルスのおかげで初めて知ることができた。
そこで連想したのが、いわゆる「バタフライ効果」。

いつものWikipediaによると、気象学者のエドワード・ローレンツが1972年にアメリカ科学振興協会で行った講演のタイトル"Predictability: Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?"に由来するらしい。
訳すと「予測可能性:ブラジルの一頭の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」。
(蝶は、1頭、2頭と数える)

ローレンツ自身は、元々はカモメを使っていたが、この学会の主催者が蝶に変更したのだそうだ。
蝶の方がドラマチックで、バタフライ効果という言葉にぴったりではある。

これが、ベストセラーとなった1987年のジェイムズ・グリックの著書『カオス―新しい科学をつくる』では、「今日の北京で1匹の蝶が空気をかき混ぜれば、翌月のニューヨークの嵐が一変する」になり、1990年の映画『ハバナ』では、ロバート・レッドフォード演じる主人公が「1匹の蝶が中国ではばたけば、カリブでハリケーンを起こす」と言っているらしい。

それはともかく、武漢のコウモリが羽ばたいて、世界中に致命的な肺炎で苦しむ人が出たと考えると、カオス理論をなぞっているようで感心する。
でも、それをつなげているのが、人々の無知と無関心と無責任さだと考えると、笑ってもいられない。

それにしても、私の専門は人と人のつながりをいかに実現していくのかというところにあったのに、この新型コロナのせいで、Social Distance の重要性を強調しなければならなくなったのは皮肉だ。
でも、これはひっくり返せば、人間が毎日どれほど他人とつながりあって生活しているかということでもある。
「あなたは決して一人ではない」のだよ。
英語ではよく孤独な状態を「島」に例える。「人間は島ではない」などと。

それに、在宅勤務になっても、Zoomという最近知ったばかりのビデオ会議ソフトを、
早速使うことになった。
それも、大学の会議、学会の会議、それに卒業研究の指導など、次々。
ついに、体験グループもZoomを使ってやろうかという意見も出てきた。
こうやって繋がらないでは生きられないのがわれわれなのだ。

自宅ではもともとやらなければならない原稿仕事があるのだが、
PCの前に座ると、ついついwebニュースを検索したり、そこで見つけた記事や情報をFBにアップしたり、もう立派なネット依存状態である。
結果、原稿は遅々として進まない。

でも、ネットで調べると本当に驚くような情報が転がっている。
今まで書籍でしかしらなかった人物の動画を見つけると、本当に嬉しくなる。
看護師の感情労働研究の先駆者、イザベル・メンジーズの亡くなる少し前のインタビュービデオを見ると、90近い年齢にもかかわらず、記憶は明晰、淀みなく話すのに驚く。

『身体はトラウマを記録する』の著者、ベッセル・ヴァン・デル・コークの講演も見つけた。
この本は、トラウマの専門書でいながら、彼自身のライフヒストリーともなっていて、
患者さんへの真摯な思いが伝わる良い本なのだけれど、講演を見てさらにその印象が強くなった。
ちょっと感動。

『心的外傷と回復』のジュディス・ハーマンは、神経症的に口をモグモグさせるくせがあり、
ちょっとどもり加減である。なるほどなあと思う。

もともと精神療法家にはユダヤ系の人が多いが、トラウマ研究者にはさらに多いように思う。
そこには自身や親世代のナチスのホロコースト体験があるようである。

こうして、家に閉じこもりながら、世界は広がっていく。
これぞ新型コロナ体験ではないだろうか。
一歩外に出ると、恐ろしいことが起こっているのだが。
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COVID-19の騒ぎの余波というにはあまりに大きく [こんなことあんなこと]

安倍首相が全国の小中学校を臨時休校措置にしたときには、なんと無謀なと思ったものだが、
今や、東京はぞくぞくと感染者が増大し、都市封鎖の危機が目の前に迫っている。

朝起きても、熱っぽくはないか、喉は痛くないかと気になってしまう。
自分が感染したのではないかという恐れというよりは、自分が知らないうちに誰かに感染させてしまったのではないかと不安になるのだ。
もちろん一人で自宅隔離となった場合を考えると(しかも、それで悪化するような事態を考えると)、部屋の中を片付けなくちゃなどと、心配なことがますます膨らんでいく。

そんな中、3月中旬に大阪で開催を予定していた学会の学術大会をギリギリになって取りやめることになった。
2年近くにわたり綿密に開催準備をしてきた企画運営委員会のメンバーたちは直前まで開催の希望を捨てていなかったので、その落胆と喪失感は深く、本来ならばへたり込んでしまうところだっただろう。
だが、中止にともない必要な対応策を急遽決めて、学会員や参加予定者に伝える必要があった。
なんどもメールでやり取りして進めていったのだが、やはり事前払い込みした会費の払い戻しや資格のためのポイントをめぐっての質問や抗議が数は少ないけれども相次いだ。
実際は、払い戻しをしてしまうと、これまで準備にかかった相当額が赤字となってしまうのだ。払い戻しそのものにも手数料がかかる。

それとは別に、大会中に開催予定であった代議員会や総会なども中止を余儀なくされたことが、大きな問題となった。
一般社団法人である学会は、総会は1年に1回開催すれば良いのだが、代議員会だけは昨年度の事業報告や決算、今年度の事業計画や予算などの重大事項を承認してもらうために、前の年度が終わって3ヶ月以内に開催しなければならないと定款で決められている。法人法でも決められているのだ。
そのため、3月以内にはどうにかして開かなければならなかった。

それで、「電磁式理事会」というものを開くことにした。要するに、メール審議である。
ただし、定款では電磁式理事会の決議は、代議員全員が同意しなければならないと決められている。
そこで、決算と予算だけに絞って、同意か否かをメールで問うことにした。

といっても、この手順を踏むことを、これまた電磁式理事会を開いて決める必要があった。
だが、さすがに電磁式理事会はスムースに全員の同意が得られ、代議員全員に議案がメールで送られた。
同時に、万一全員の同意が得られない場合は、プランBとして、東京で当初の開催日に通常代議員会を開催する段取りを決めた。
このような非常事態に、予算が決まらないと本当に困るわけで、そこのところをどうか汲んでほしいという思いを文面に込めた(つもりだった)。

ところが、結果は全員からの同意が得られなかったのだ。
そこで、プランBということになったが、感染は拡大し続けており、開催日はできるだけ遅くするべきだと思われた。
そこで、プランBの日程をさらに1週間遅らせて、3月末に開催することにして、再度理事会の承認を得て、代議員に通知した。

そこへ突然、小池都知事から週末の不要不急の外出を自粛するようにとの要請が出た。
すべてが白紙となった。

この分だと、4月の下旬に予定している理事会の開催も危うい。
実際、会場の大学は5月のゴールデンウィークまで部外者のキャンパス内立ち入り禁止を決め、予約も取り消された。
急遽、別の会場を探し、予約しなければならない。

代議員会に参加するために購入したチケットをキャンセルしなければならなかった人の手当ても考えなければならない。
例年、事業報告と事業計画、決算書と予算書は、直近の学会誌に掲載するのだが、承認されなかったために暫定案として掲載することを決めた。

とまあ、COVID-19のおかげでてんやわんやの3月が終わり、積み残した課題はまだまだ山のよう。
ここに書けないゴタゴタも残っていて、めまいが再発するのではないかという不安も…。

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いいこともあるさ [こんなことあんなこと]

世界中でCOVID-19の拡大がニュースになっているが、
自宅周辺ではほとんど騒ぎになっていない。
ニュースでも、新しい感染者が出ても数が報道されるだけで、細かな地域名や職場などの情報は伏せられるようになって、ますます現実感が薄れていくような感じがする。
それで、かえって大変なことが実は起きていて、気づかないだけなのではないかという漠然とした不安が溜まっていく感じだ。

そんな折、以前、精神科病院で働いていた頃に受け持った患者さんから、夜、突然電話があった。
当時(今から30年ほど前)、私は男子開放病棟を担当していた。
彼は、大学に行かなくなってから自宅に引きこもり状態で、入院してからも1日中、ベッドで横になったままで、食事や入浴以外は出てこなかった。

ある日、私がダメ元で院外のお店に買い物がてら散歩に行かないかと誘ったところ、意外にもむくむく起きだして、だまってついてきたのだ。
それ以来、彼はまるで鴨のヒナのように、私の後ろをずっとついてまわるようになった。
そこで、困った私は図書室グループをつくることを思いつき、彼にメンバーを募るように話した。

図書室というのは、老朽化して使わなくなった木造平屋建ての病棟の一室を、患者さんたちと一緒に改造して作ったもので、もともと彼のような若い患者さんが入院しても読書したり、勉強したりできるようにと考えて作ったのものだった。

彼は、週1回のグループの時間になると、全館放送で図書館グループへの参加を呼びかけるアナウンスを入れた。
すると4つの病棟から、患者さんたちが図書室の一角に設けたおしゃべりコーナーに三々五々やってきた。
だが、知らない同士のことも多かったので、話がなかなか弾まないでいると、彼は終わった後に「今日は失敗だった」と言った。
うまく話が続かなかったことを、自分のせいだと感じていたのだ。
そこで、私が「別に話はしなくても、すわっているだけでいい」と話した。
次の回、彼はグループに同世代の若い男子をつれてきた。
その男子が途中で、「話が続かないねえ」と困ったように呟いた時、彼が「話さなくてもいいんだよ。ここで一緒に座っていればいい」と、言ったのだった。

その後、紆余曲折を経て退院した後は、
彼はアルバイトをしながら、女性に恋しては振られるたびに詩を書いて、詩集を自費出版したり、一人で海外に出かけて、ナスカの地上絵を見に行ったりしていた。
私には、ファックスでそうした経験や詩を書いて送ってくれていた。

今回の電話で彼に言われて思い出したのだが、10年ほど前に、突然彼から電話があり、
どうも具合が悪いというので、すぐに病院に行くように伝えたことがあった。
以来、連絡は途絶えていたのだが、1年ほど入院して、
今は、障害年金を受給しながら、自宅近くのグループホームに住んで、デイケアに通っているという。

その彼が、今が一番「生きていてよかった」「生きている意味がわかった」という。
私が働いていた頃も、彼は音楽が好きで、主治医との面接ももっぱら音楽談義だったのだが、
今は絵画も好きになり、展覧会にもよくいくようになったという。
そして、今通っているデイケアでは、毎朝のミーティングで一人一人が好きなことを発表できる時間があるのだが、そこで彼だけ特別に時間を延長してもらい、音楽や絵画の話ができるようにしてくれているのだそうだ。
それが、今、彼の「生きがい」となっているというのだ。
20代だった彼も、今は50代半ば。

それにしても、彼のような患者さんがいてくれるおかげで、私も自分のしていたことが無意味ではなかったのだと思えて、ありがたいとつくづく思う。
人生、いいこともあるなと。

私は彼が自殺でもしているんじゃないかと、ずっと気がかりだったのだ。

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