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知らないアラブの世界 [本のはなし]

あっという間に新年に突入してはや2週間近く。
世界は不穏な動きが続く。
何より心配なのは気象変動と地殻変動。
フィリピンをはじめとする太平洋沿岸地域で火山の大噴火や地震が続き、昨夜は筑西市で震度4。姉はしょっちゅう揺れているから気にならないと言っていたが。

そして、イランの情勢。
アラブ地域は40年近く前にエジプトに行ったことがあるが、
その頃のエジプトは、キリスト教の十字架とイスラム教の半月、それにユダヤ教のダビデの星を掲げた3つの教会が街の中心地に同居しており、もともとアラブは宗教には寛容なのだと言っていた。
だが、その後はエジプトでも観光客が襲撃されるなど、うかうかと近寄れない雰囲気になってしまった。

その後、アフガン戦争やらイラン・イラク戦争やらがあり、911があり、イスラムはどんどん過激化していった。
と、書きながら、こういった動きがどんな順序で起きたのか、思い出せない。
それぞれの国がどこに位置するのかも定かではない。遠い昔、地理で習ったのだが…。

話は逸れるが、元日産のカルロス・ゴーン氏はレバノン出身ということだが、かつて1982年に『炎熱商人』で直木賞を受賞した深田祐介は、レバノンとシリアの商人は、「レバ・シリ商人」といってたいへん商才にたけていて、世界中で成功をおさめていると書いていたことを思い出す。
昔から東西の交通の要衝にあって、交渉術などにもたけている人が生き残っていったのだろう。もちろん政治力も必要だ。とにかく、清濁併せのむようなところがないと生き延びてはいられまい。

イランとイラクだって昔は戦争したのに、今は友好国でイランの米軍基地へのミサイル発射だって、イラクを通じてアメリカに事前に通報してあったというではないか。
世界には「今日の友は明日の敵」「今日の敵は明日の友」という現実があるのは、『リンドグレーンの戦争日記』でもたびたび記されていたことだ。

その上に、イスラムにもシーア派とスンニ派があって対立しているというから、ますますわけがわからなくなる。
現地で人道活動を続けている高遠菜穂子さんによれば、政府の発表と人々の気持ちは相当違うのだそうだ。https://iraqhope.exblog.jp/29866057/

例によって、前置きが長くなってしまったが、今日のおすすめブックは『シリアの秘密図書館ーがれきから取り出した本で図書館を作った人々』(東京創元社)

シリアといっても、正確には「ダラヤ」という町。
著者のデルフィーヌ・ミヌーリは、フランス生まれの40代のジャーナリスト。現在はイスタンブールに在住し、シリアの現状を伝え続けているという。
彼女は、たまたまフェイスブックでこの町に住む若い写真家集団のページでこの町の秘密の図書館の存在を知り、以後、スカイプなどのSNSを通じて連絡を取り合ってきた。

ダラヤといっても、知っている日本人はほとんどいないのではないだろうか。
では、「アラブの春」を知っている人は?
「ジャスミン革命」は?

私も聞いたことはあるような気がするが、今回この本を読んでようやくわかった。
実は「アラブの春」が起きたのは、2011年のこと。
はっきりとした記憶がないのは、東日本大震災でそれどころではなかったからか。

そしてそのきっかけとなったのが、2010年のチュニジアの「ジャスミン革命」だった。
Wikipediaを借りると、次のような出来事だったそうだ。

「一青年の焼身自殺事件に端を発する反政府デモが国内全土に拡大し、軍部の離反によりザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した事件である。ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前がネットを中心に命名された。
この民主化運動はチュニジアにとどまらず、エジプトなどほかのアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こした。こうした一連の動きはアラブの春と呼ばれた。」

このアラブの春とよばれる人々の民主化を求める平和的なデモが始まった地のひとつが、ダラヤだった。まさに2011年3月のことだった。
しかし、翌2012年にはシリアの元首アサドは、ダラヤが反政府勢力のテロリストの巣窟だとして軍隊を派遣、ダラヤは包囲され、絶え間ない爆撃を受けて廃墟となった。
だが、そのがれきの中から人々の手によって数千冊の本が救い出され、廃墟となった建物の地下に運び込まれたのだ。

中心人物の一人、アフマドはダマスカス大学で工学を学び、ジャーナリストになることを夢見ていた青年である。彼は完全に封鎖された街に留まり、街の新しい評議会が作ったメディアセンターに加わり、荒廃した町をカメラで撮影し、動画をネットにあげていた。
それを偶然著者が見つけたのだ。

アフマドが語った図書館ができたいきさつはこうだ。

ある日、友人が崩れ落ちた家の下になった本を掘り出したいから助けてくれと頼んできた。
アフマド自身は読書家ではなかったのだが、破壊された家の床から1冊の本―英語で書かれた心理学の本だったーを手に取り、中を見たとき、彼の中の何かが変わったのだ。
そのときのことは、こう書かれている。

 「彼は震えた。彼の中のすべてが揺れ始めた。知の扉を開いた時の心を乱すざわめきだった。一瞬、紛争の日常から逃れる感覚、たとえわずかでも、この国にある書物のひとかけらを救ったという感覚。そのページを潜り抜けて未知の世界へと逃げ出すような感覚だった。」

やがて、40人ほどのボランティアが空からの爆撃の隙を狙って残骸を掘りに行き、1週間で6千冊の本を救い出した。一か月後には1万5千冊になった。
ダラヤの新しい評議会は、ダラヤ初の公共図書館をつくることを決めた。
そして、前線からほど近くにある放棄された建物の窓に砂袋を積み上げ、地下に発電機を据えた。
集めた本の汚れをぬぐい、修理し、仕分けし、記録して揃えた。
1冊1冊に番号を振り、最初のページに元の持ち主の名前を書いた。いずれ返せるように。

図書館は礼拝の日である金曜をのぞき、9時から17時まで開館し、毎日25人ほどの来館者があった。
しかし図書館の外では、飛行機から樽爆弾が投下され、狙撃兵が銃口で市民を狙い撃ちしていた。

こうした体験の一部始終を、著者は途切れ途切れのネット画像を通してリアルタイムで知ることになった。
だが、モニター越しにアフマドたちが次から次へ語ったのは、読んだ本についてである。
読書は残酷な現実を生き延びるための治療ー読書療法ーだったのだ。

だからこそ、人類は繰り返し書物を焼き払い、図書館を破壊してきた。
バグダッドの大図書館は侵入してきたモンゴル兵によって破壊され、大量の書物がティグリス川に投げ込まれた。
ヒトラーも反体制派の数千冊におよぶ書物を一夜にして焼き払った。

この本には、シリアの現代史が記されている。
それは80~90年代からの、私にとってはつい最近の出来事なのに、何も知らなかった。
そのなかでもダラヤは特異な文化を育んでいったことがわかる。
アサド政権の恐怖政治が支配するシリアにあって、ダラヤの人々はイスラムでも進歩派の導師を中心に、ムスリムの思想家で非暴力の概念を説いたジャウド・サイードなどの著作を学んだのだ。
そして、環境保護のための啓発活動、地域への街路清掃の呼びかけ、腐敗との闘いなどの新しい市民運動が生まれた。

イスラエルから難民キャンプへの攻撃の際にも、ダラヤでは過激で短絡的な反イスラエルの動きは起きなかった。
「私たちの問題はイスラエルではない。アサドでもない。私たちの問題は、私たちの臆病さ、教育の欠如、物事を動かそうとする勇気の欠如なんだ」と説いたのは、仲間から「教授」と呼ばれたムハマド・シハデ37歳。
街が包囲されてから、アフマドたちは教授の授業でこうした街の歴史を学んだ。

公立図書館を作ろうと決めた評議会など、ダラヤでは人々の話し合いによる民主的なシステムが機能していたのだ。

だが、ネタバレになってしまうのだが、完全に包囲されたダラヤは国際社会への訴えも空しく、1350日続いた樽爆弾、サリンガス、ロケット弾、大砲によって徹底的に破壊された。食料や医薬品さえも搬入を拒まれ、食べものも尽き、ただ彼らが”シェリ”と呼ぶもので飢えと戦っていた。
”シェリ”とは雑談のことだ。たわいもない話をすることで、空腹を忘れ、正気を保って生き延びたのだ。

だが、一番熱心な図書館の利用者だった反政府軍の兵士オマールが死に、町全体を焼き尽くすナパーム弾が投下されるに及び、最後まで残った人々も町からの退去を決断したのだった。

死んだオマールは、政権側からはジハード主義者とレッテルを貼られていた。
だが、彼はイスラムというより、正義と人権を求めて反政府軍に入ったのだ。
彼はカラシニコフ銃をもちながら、イブン・ハルドゥーンが大好きで政治や進学の本をよく読んでいた。
彼は、前線に<ミニ図書館>を作ったのだ。
ほかの兵士たちも爆撃が止むと、本を交換し合った。
彼は、「本を読むのは、何よりもまず人間でありつづけるためです」という。
この本の冒頭には、アフマドが撮影した戦線で読書する兵士の写真が載っている。

オマールは死んだ。だが、彼らの精神だけは破壊されないでいる。
著者が彼の死を悼んで最後に引用したアルチュール・ランボーの「谷間に眠る者」という詩に心打たれた。

それにしても、おそるべし、ネットの力!



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